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どうもー、白くま父さんです。
秋田県南部羽州街道歩き旅、とうとう6回目です。
八橋一里塚跡から牛島一里塚までの経路は以下のとおりです。前回までに大町筋の秋田県農協電算センター前の明治天皇聖蹟まで歩きました。
今回は大町筋を更に南下していきます。この辺は大町三丁目ですね。
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前回の秋田県農協電算センターさんから振り返ると、もうそこは赤れんが郷土館なのでしたw
「重要文化財 旧秋田銀行本店本館
秋田銀行本店として明治四十五年(一九一二)七月に完成した。レンガ造りの二階建てで、ルネッサンス様式を基調とした華麗な外観と、バロックの手法を取り入れた豪奢な内装が特徴で昭和四十四年(一九六九)まで営業していた。」
まじすか、白くま父さんが生まれる3年前までここで営業していたんすか!!なんで、やめたんスかね?いまもここで良いじゃないですか、かっこいいし、味がありますよ。手狭になったのかな?いやー、かっこいい!!
ホームページはこちらです。
この日は、早朝ですから見学は出来なかったのですが、4月17日の旅が早く終わったので、赤れんが郷土館を見学させていただきました。
秋田美人の受付の方に写真撮影は大丈夫か尋ねましたら、展示している作品を写すのはNGですが建物を写すのはOKとのことでしたので、見学の際撮影した内装をご覧ください。ホームページに写真があるものは除きました。ちなみに秋田美人の撮影がOKかは聞くのを忘れましたw
天井のシャンデリアが見事です。
こんな暖炉で温まったんでしょうかね。
金庫の扉が重厚ですね。増田の蔵もこんな感じの扉ですから、蔵を模してるんですかね。
階段をあがって、
1階をみると昔のポストが端っこにぽつんとありました。ちなみに増田町の郵便局前には現役のこのポストがあります。
赤れんが郷土館の2Fには、秋田出身の人間国宝 関谷四郎さんの作品が展示されております。ホームページの紹介はこちら
ホームページの説明を抜粋します。
「関谷四郎は明治40年、現在の秋田市外旭川に生まれた鍛金家(たんきんか)です。異なる金属を結合させる「接合せ(はぎあわせ)」の技法を取り入れ、各展に多数の作品を発表。昭和52年に国の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定され、日本金工界に大きな業績を残した作家です。」
ピンとこない人も、一度この記念室に行ってみてください。作品の制作過程を紹介した30分のビデオが上映されているのですが、面白くて白くま父さんは、ガッツリ見ちゃいました。このビデオを見た後、作品を見るとその凄さが解ります。物を作るのが好きな方におすすめです。
また、赤れんが郷土館には秋田の版画家 勝平得之(かつひらとくし)さんの記念館も併設されております。ホームページの紹介はこちら
ホームページの説明を抜粋します。
「郷土秋田を愛し意欲的に創作活動を続けた木版画家・勝平得之(かつひらとくし)は、明治37年秋田市鉄砲町(現在の秋田市大町6丁目)の紙漉き業の長男として生まれました。そして家業を手伝いながら独学で版画の絵・彫り・摺りの3つの工程を学び、勝平独自の色鮮やかな色摺り版画の技法を生み出します。」
白くま父さんが、見学したときは、季節の行事ごとに売る花を変える花売り娘たちの版画が展示されておりました。綺麗な色使いで昔の秋田の雰囲気が感じ取れました。著作権フリーならこの方の版画で昔の秋田の風景を紹介したいですー。 秋田県立博物館デジタルアーカイブに勝平得之さんの版画が公開されておりましたので、このリンクで今後紹介していこうと思います。例えばこんな感じです。
うわー、鮮やかな色使いですね。また椿を売る娘さんの姿の良いこと!!全部は紹介しませんよw見に行ってくださいね!!(2021-5-23 追記)
これだけ見学できてなんと、たったの大人1人 210円!!高校生以下 無料!!
しかも、ねぶり流し館も一緒に見ることができる共通券は大人1人 260円!!高校生以下 無料!!
さらにさらに、白くま父さんが赤れんが郷土館の美人受付さんから買った「くるりん周遊パス」は500円で9つの施設(千秋美術館、佐竹資料館、久保田城御隅櫓、赤れんが郷土館、ねぶり流し館、旧黒澤家、秋田城跡歴史資料館、如斯亭、秋田県立美術館)を見学できちゃいます!!1年間有効!!激安だろ、お得すぎだろ!!是非是非おすすめです。
そして、赤れんが郷土館の前には「秋田県里程元標跡」があります。いま、白くま父さんが旅の目印にしているのは、江戸時代の羽州街道の一里塚でなのですが、一里塚は明治に廃止されてしまって、代わりに設置されたのがこの「里程元標」と思って結構ですよ。くわしくはwikipediaや、おなじみ二〇世紀ひみつ基地さんの関連記事をごらんください。
今の白くま父さんにとっては、一里塚の地位を奪った敵ですなw
youtubeに赤れんが郷土館を紹介した番組の動画がありましたので、リンクを貼っておきますね。
さ、赤れんが郷土館さんには長居しちゃいましたので、そろそろ大町筋を南下しましょうか。
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南下して直ぐ交差点です。羽州街道・大町筋に交差するのは「すずらん通り」です。
夜、すずらん灯でキレイなのでそう呼ばれたと聞いたことがあります。そんなにすずらん灯無いですけどね。昔はあったのかな?
写真は1区ですが、写真と反対側を進んだ3区にあった松坂古書店には、昔よく行ったなあ。いまは、もう無いです。
このまえ南通に残ったの松坂古書店 南通店にいったらそこももうお店辞めてました。残念です。
松坂古書店、復活してくれないですかねぇ。
あとは、秋田の古書店としては板澤書房さんに頑張ってもらうしか無いですね。
どんどん、南下します
大町四丁目バス停を通過します。
南下を続けます。
秋田屋台村 たばこ座横丁さんがありました。2021-3-20 たばこ座横丁
ホームページはこちら。家賃5万円弱ということですので、コロナ禍が収まってからでしょうけど、飲食店を開業しようと思っている方は良いかも知れませんね。
早朝なので、呑んでられませんw というか、開いてませんw
たばこ座横丁の由来がありましたので、抜粋します。
「外町には土崎湊から多くの商人が移り住み、特定商品の独占販売権が認められる町ができましたが、ここ本町五丁目は慶安二年(一六四九)に煙草座が立てられ、煙草の売買は本町五丁目のみに独占的に認めらられる占売権(しめうりけん)となりました。この煙草座の占売権は久保田城下のみならず、近郊の村々までも及びました。」
なるほど、このあたりは久保田城下の煙草座があったんですね。
秋田市の住居表示新旧対照一覧、参考文献1から、本町とかいてあるのは間違いではなくて、大町と呼ばれる前は本町(ほんちょう)と呼ばれていました。
もともと、本町一丁目〜六丁目という町割りで始まって、そのうち本町一丁目〜三丁目までは江戸時代初期に大町一丁目〜三丁目と呼ばれるようになり、本町四丁目〜六丁目はそのままの町名が続き、昭和40年に大町四丁目〜六丁目となったようです。
このような占売権はただ認められたわけではなくて、伝馬・歩夫の提供や参勤交代の時の宿泊所の提供や接待など、一定の代償が伴っていたそうです。そりゃそうだろうねえ。
たとえば現在の特許権だって、ただ発明して申請すれば得られるわけではなくて、結構高額な特許料をお国に納めて認められるんですもん。その特許使って、もの売って儲けが特許料より少なかったら赤字ですわ。
代償より儲けが多ければ、商人は大きくなっていったでしょうね。
たばこ座横丁に出店を考えている方も、家賃の安さだけに捕らわれず、店の改装費、ガス水道代電気代、従業員のお給料等々の固定費、毎日の仕入れ等々の変動費と売上のバランスを考えて出店計画を立てないと成功して大きくなれないでしょう。損益分岐点をできるだけ低くして。。。。うるさいってw
南下をつづけますよ!!
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お稲荷さんが見えてきました。
正一位稲荷神社です。。。。。。って、神様の前にゴミ集積所置くの?どうかと思いますよ?大丈夫?
日吉八幡神社も合祀されているようです。日本の神様は喧嘩しませんねえwさすが八百万の神々!!
標柱の後ろを見てみますと
昭和十二年五月に船木末吉さんが寄進されているんですね。
秋田市は船木さん多いですよね。
白くま父さんの実家は秋田市の濁川なんですが、もう船木さんだらけです。
船木 靱負(ふなぎ ゆぎえ)という、秋田安東氏の家来だった人で、佐竹さんが来てから佐竹さんのご家来になられた方がおられるんですが、久保田城下地割普請方支配役つまり、この辺りを普請するお役目をして、今の旭南2丁目(旧地名:城町)に宅地をもらって住んでいたということです。なので、そのご子孫が船木末吉の可能性が高そうですね。
濁川にも関係あるんですかねぇ?
秋田県公文書館に「船木家文書」があるそうなので、今度見てみようかしら。
神社の前にゴミの集積所は止めたほうが良いと思いますよ?船木さんもきっと泣いていることでしょう。
さて、今回はこのへんで終わりにいたします。
次回も大町筋を南下します。
その7に続く(そろそろ大町ぬけるか?)
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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!
。。。。しつこいようですケド、ゴミの集積場所変えませんか?
大町五丁目の方、ご検討お願いいたします。
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参考文献1:渡部景一「図説 久保田城下の歴史」無明舎出版 2009
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初稿:2021-5-5
秋田県立博物館デジタルアーカイブへのリンクを追加:2021-5-23
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