秋田県南部羽州街道歩き旅 八橋一里塚〜牛島一里塚編 その9(完)

秋田県南部羽州街道
秋田県公文書館デジタルアーカイブ「秋田郡楢山村川辺郡牛嶋村境之絵図」を加工

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前回その8はこちら

どうもー、白くま父さんです。

秋田県南部羽州街道歩き旅、もう9回目です。

八橋一里塚跡から牛島一里塚までの経路は以下のとおりです。前回までに楢山登町の旧與次郎稲荷神社跡まで歩き、佐竹のお殿様にも旅に加わっていただきました。

白くま父さん
白くま父さん

今回で牛島一里塚跡に着きますかね?

佐竹の殿様
佐竹の殿様

さあ?でも、どんどん進むぞ!!

2021-3-20 楢山登町

前回はここ楢山登町のT字路まできました。正面の茶色の建物のところに以前與次郎稲荷神社があったのでした。

そして、佐竹のお殿様は久保田城下を通過されて、左の道から羽州街道へ合流されました。

今回はここを右折して進みます。

2021-3-20 楢山登町

すぐに交差点が有りますが、正面方向にまっすぐ進むのが羽州街道です。正面方向は車は進入禁止の一方通行ですが、歩行者の我々は関係ありませんので、真っすぐ進みます。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

参勤交代も歩行者で良いんだよな?

2021-3-20 楢山登町

150mくらい進みますと、また十字路が有りますので左折します。また、進入禁止の一方通行ですが、構わず進めるのが歩行者の利点ですね。

白くま父さん
白くま父さん

一方通行進入、参勤交代もOKです!!

佐竹の殿様
佐竹の殿様

ほっw

2021-3-20 楢山共和町 「旧楢山牛島橋通町」標柱

少々進むと、右側に「旧楢山牛島橋通町」の標柱があります。

「寛永六年(一六二九)に久願院(ぐがんいん)前町、同十六年(一六三九)に七軒町として町割りされた侍屋敷町であった。明治に入り、この両町が合併して楢山牛島橋通町となった。」

近くにある大きなお寺は「弘願寺(ぐがんいん)」ですから、漢字を変えたのかな?間違い?それとも別のお寺?

2021-3-20 楢山南中町 大宮鮮魚店

さらに少々進むと、左手に「大宮鮮魚店」さんがあります。

白くま父さん
白くま父さん

うわー、なつかしい!!私が高校生の頃から変わってないような気がする!!

白くま父さんは、30年位前実は南高生だったんで通学時、自転車で何度もこちらのお店の前を通ったことが有るような気がします。

いや、別に買った事は無いのですが、何か感動しましたw

なんかいっぱい張り紙貼ってる感じが変わってないような感じですね!!

地域に愛されているんですね。

2021-3-20 牛島橋バス停

さらに進んで、牛島橋バス停前を通過します。

2021-3-20 旧牛島橋

さらに進んで、この右側緑地を観た瞬間、何か違和感を感じました。

白くま父さん
白くま父さん

なんか変な地形だな?

2021-3-20 旧牛島橋

道路の反対側に渡って、進行方向の左側の緑地を見るとさらに違和感が増します。(写真は、進行方向に対して後方を観ていますので、右側に緑地が有ります。)

高校生の頃自転車で何度通っても全く違和感がなかったのですが、徒歩だと何か違和感有りまくりです。当時は全く気にもしてなかったのかも知れませんねw

2021-3-20 楢山末無町街区公園

緑地に降りてみますと公園になっているのですが、水はけが悪くグチャグチャです。ここで子どもが遊んでるんですかね?

2021-3-20 楢山末無町街区公園

公園の名前は楢山末無町街区公園と言うそうで、昭和39年(1964)に出来たそうですが、ここ昔の川の跡ですねぇ。そういう形の公園ですもん。水はけ悪いですし、周りからちょっと低い低地ですしね。

帰宅してから調べますと、やはり「二〇世紀ひみつ基地」さんに記事が有ります。こちら「川のない橋「牛島橋」界隈を歩く」

やっぱり川の跡でしたね。太平川はバイパスされていたのですね。そして白くま父さんが違和感を感じたあの場所が、旧牛島橋だったということです。それでは、旧牛島橋に戻って、さらに羽州街道を進んでみましょう。

2021-3-20 牛島郵便局

牛島郵便局前を通過します。ちなみに牛島郵便局の隣の宮川内科医院の場所には、昔牛島が河辺郡だった頃、明治時代ですが河辺郡役所があったとのことです。

2021-3-21 太平川橋
2021-3-21 太平川橋

こちらが太平川を渡っている「太平川橋」です。白くま父さんはこれがずっと牛島橋だと思ってましたが、太平川橋だったとは!!

まあ、太平川といい旭川といい、雄物川の河口付近はかつては暴れ川だらけで、毎年洪水の度に地形が変わるような感じだったと聞きますからね。治水工事でバイパスしたんですねぇ。しみじみ。雄物川放水路やダム建設等の治水工事の重要性を思い知らされますね。

いやー、有意義な街歩きだなあ。いろんな知らなかった自分の身近な町がだんだん解ってきますね。かつてのNHKの教育番組「たんけんぼくのまち」みたいだ。主演のチョーさんはあとで、「いないいないばあっ!」のワンワンになるんですよ!!

佐竹の殿様
佐竹の殿様

おいおい、話が脱線しまくりだろ

白くま父さん
白くま父さん

すみません。。。

白くま父さん
白くま父さん

というか、脱線を知っているということは、鉄道を知ってるの?

さて、太平川橋をわたって、牛島商店街のアーチをくぐって進みます。

2021-3-21 新屋敷小路バス停

新屋敷小路バス停前を通過します。

ーーーー2022-1-4追記

秋田県立博物館に「足栗毛」という資料があるそうです。

どうやら、弥次喜多道中で有名なで十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にあやかって付けた題名のようで、刈和野〜土崎までの羽州街道沿いの風景二十箇所を描いたものだそうです。

秋田県立博物館研究報告というものが、Web上でPDFで読めるのですが、その第31号(2006年)でこの「足栗毛」が紹介されておりました。これです。

作者不明ですが江戸時代の羽州街道沿いの風景がよく解る資料だと思います。

6ページ目に

「15 牛島 牛島人通り之図」

という説明ともに江戸時代の牛島の風景画が紹介されております。 

店が立ち並び人通りも多く、牛島の町が古くから栄えていたことが解ります。

カラーで見られないのが残念です。

秋田県立博物館さん、是非ともデジタルアーカイブで「足栗毛」の公開をおねがいしまーす。

ーーーー2022-1-4追記ここまで

2021-3-20 三皇熊野神社里宮

更に進むと三皇熊野神社里宮があります。こちら結構大きな神社なんですよ。高校生のときは自転車だったせいか全く神社に気づきませんでした。すみません。

ホームページをお持ちで、こちらです。

ここから、雄物川方面に向かったところに本宮があるそうで、里宮の由緒は、秋田県神社庁によると

「旧熊野神社で創立不詳なるも慶長5年再建されたという。

 三皇神社と共に昔から崇敬を集めて来た。

 明治44年三皇神社に合祀された。

 現在の里宮は、昭和55年、三皇神社と熊野神社が合祀して70年、昭和5年に牛島の大火により旧社殿が類焼し、仮社殿再建して50年を記念し、

 諸祈願祈祷所、氏子崇敬者の多目的参集所を目的として、広く浄財を募り、鉄骨、木造併用の建物である。」

ということです。牛島近隣の村々の崇拝を集めてきたんですね。

7月第2土、日曜日には、三皇祭というお祭りがあるそうで、お神輿、曳山が出る大きなお祭りのようです。高校生の白くま父さんは土日に登校することはなかったので、お祭りには気づきませんでしたね。

お祭りは昨年令和2年はコロナ禍で実施しなかったようですが、今年はどうでしょうかね。早くコロナが治まればいいのに。

治まったら、三皇祭に行ってみたいですね。

どんどん、羽州街道を進みます。

2021-3-20 秋田銀行牛島支店

秋田銀行牛島支店さんのある交差点を通過します。交差する道は「牛島仲見通り」と言うそうです。

更に進みます。

2021-3-20 羽越本線 羽州街道踏切

羽越本線 羽州街道踏切を通過します。

羽州街道踏切なんて名前つけて、これから何回も踏切通過するはずなのに大丈夫か?名前ダブらないのかと思いましたが、羽越本線とはこれ1回限りしか通過しませんから大丈夫ですね。これから、何度も通過するのは奥羽本線です。

羽州街道踏切!!ここが羽州街道である証拠ですね。

さて、更に進みます。

白くま父さん
白くま父さん

この辺に牛島一里塚があるはずなんですけど、全然わかりませんね。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

なんにも、ないんだねぇ。

折角作ったのに壊しちゃって。

大変だったんぞ、いちいち距離測ってさあ、ブツブツ、

幕府が早く作れって言うしさあ、ブツブツ、

街道整備だってさあ、頑張ったんだぞ、ブツブツ。。。。

白くま父さん
白くま父さん

あ、まずい。機嫌悪くなってきた。

白くま父さん
白くま父さん

と、殿!!お屋形様!!

近くで、お茶でも如何ですかね?

佐竹の殿様
佐竹の殿様

お茶?御茶橋は、もうチョット先だぞ!!

2021-3-20 マルダイ 牛島店
佐竹の殿様
佐竹の殿様

南蛮の城みたいな店だな。

お殿様をなだめながら、近所のスーパー「マルダイ 牛島店」さんで、一服しつつリュックから参考文献1を出して調べます。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

炭酸水!?しゃっけー!(冷たい!)う、うめーw

白くま父さん
白くま父さん

炭酸は、初体験だったかw

白くま父さん
白くま父さん

大体わかりましたよ。行ってみましょう

羽州街道にもどります。

2021-3-20 羽州街道沿いの蔵のあるお宅

写真は、歩いてきた羽州街道の後方、つまり北側の羽州街道踏切の方を南から見ています。Googleマップだと、下記の辺りです。

参考文献1の牛島一里塚跡の調査結果では、この蔵のあるお宅の辺りと、このお向かいの鎌田美容院(写真は撮り忘れました)の辺りにあったようです。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

ふう、今回の旅は外町を通ったから、観るところが多くて長かったな、やっと着いた。

白くま父さん
白くま父さん

いやいや、お殿様は楢山登町からじゃないですかw

佐竹の殿様
佐竹の殿様

えー、城から楢山登町まで来たんだぞー

はい、ということで、これで今回の目的地である牛島一里塚に着いたと思っていたのですが、このブログを書くにあたって、秋田県公文書館デジタルアーカイブの絵図を見まくりましたところ、牛島一里塚の記載がある絵図を2つ見つけました。

秋田県公文書館デジタルアーカイブ「秋田郡楢山村川辺郡牛嶋村境之絵図 寛保1年(1741)」を加工
中央部に牛島一里塚有り

元の加工しない絵図を見たい方はこちらをご覧ください。細部までご覧いただけます。

秋田県公文書館デジタルアーカイブ「久保田城下絵図 寛政11年(1799)」を加工
中央部に牛島一里塚有り

元の加工していない絵図を見たい方はこちらをご覧ください。細部までご覧いただけます。

2枚の絵図とも、羽州街道の両脇に一里塚の記載が有ります。しかも、西側に伸びる道のそばにあるんですよね。

その道は、途中で2つに分かれるようです。この感じを現在の地図、Googleマップで見てみると、下記のあたりに牛島一里塚があるような気がします。

つまり、羽州街道踏切より手前、牛島仲見通りより手前の、「居酒屋ふなき」さんと「そのお向かいのアパート」の辺りじゃないかな?とも思えるのです。ただ、参考文献1は、明治期の絵図も見て、近隣住民の聞き込みもして確定していますので、精度は今のところ参考文献1のほうが高いと言えると思いますよ。

しかしまあ、2つの絵図ともに、三日月湖の多さを見ても、太平川が暴れ川だったということがわかりますね。

白くま父さん
白くま父さん

機会を見て秋田市役所に旧公図を見せてもらいに行ってみます。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

旧公図?絵図みたいなものだな?

白くま父さん
白くま父さん

そうらしいのですが、まだ見たことがないのでわかりません。

土日に秋田市役所やってないからなー、

サラリーマンは休暇をとらないとなかなか行けません

さて、まずは参考文献1の確定している「牛島一里塚」にたどり着きましたので、今回の「秋田県南部羽州街道歩き旅 八橋一里塚〜牛島一里塚編」は、その9で終了です。

次回の「秋田県南部羽州街道歩き旅 牛島一里塚〜仁井田一里塚編」その1にご期待下さい!

白くま父さん
白くま父さん

実は、5月25日に秋田市役所に行ってきたんだよねー

佐竹の殿様
佐竹の殿様

お!!なんかこっそりやってるみたいだけど?!

次回もよろしくね!!

前回その8はこちら

まとめページはこちら

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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!

秋田市役所さん、全館とはいいません。

市役所文書法制課窓口(分館1階)さん、土曜日やってくれませんかね?

秋田県公文書館、大仙市アーカイブス、横手市公文書館は土曜日もやっているので、サラリーマンにはありがたいです。

秋田市役所さんもご検討をよろしくおねがいします。(秋田市に公文書館ができる予定有りますかね?)

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参考文献1:佐藤晃之輔「秋田・羽州街道の一里塚」秋田文化出版 2013

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初稿:2021-5-30

牛島郵便局の写真追加:2021-11-23

足栗毛追記:2022-1-4

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