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前回、川原田一里塚〜石川一里塚編のその1はこちら
どうもー、白くま父さんです。
川原田一里塚〜石川一里塚編に入って、今回は第2回目になります。
川原田一里塚跡から石川一里塚までの経路は以下のとおりです。
黄緑色の部分が、前回まで歩いた経路となります。前回は、奥羽本線の下を地下道をつかってくぐり、和田の町にたどり着きました。今回は和田の町を探索です。
こちらは、前回潜ってきた奥羽本線の地下道ですね。そして回れ右をすると、
前回到達した和田の町です。それでは、羽州街道を北西に進んでいきましょう!!
このあたりから、住所も河辺和田になります。
さらに北西に羽州街道をすすみますと、和田の町の公共施設が集まったところに出ます。
左手には、秋田市河辺市民サービスセンターです。
河辺町が秋田市と合併する前、ここは河辺町役場でした。
白くま父さんの母方の祖母が和田の高岡というところの出身でしたので、先祖調査のため除籍謄本をとりに河辺町役場の頃に訪れたことがあります。
とても親切に対応していただいたことを覚えておりますよ。
そして右手には森林組合、漁協、土地改良区があるという看板がありました。
さらに羽州街道を北西にすすみますと、右手に和田郵便局がありました。
このあたりから、羽州街道は西に向かいます。
やがて、この十字路に出ます。真直ぐ進むのが羽州街道ですが、ここは寄り道で右折し、南に行ってみましょう。
和田駅入り口バス停を通過します。
はい、そうです。JR和田駅があります。
奥羽本線で秋田駅→四ツ小屋駅→和田駅と、秋田駅から2つ目の駅ですね。
乗合タクシー船沢線の和田駅前の停留場がありました。
船沢は石川一里塚の後に訪れることになりますが、それはチョット後の話ですね。
もちろん乗合タクシーでは行きませんよ。白くま父さんは徒歩です!!
和田駅から秋田新幹線こまちには乗れませんが、秋田駅に近いせいか頻繁に通りますね。
和田駅の隣の駅は、上り方面:大張野、下り方面:四ツ小屋です。
何に対して上り何だかわかりませんでしたが、どうやら東京方面に向かう電車を上りというようだと気づいたのは、就職のため秋田を一度出たときでしたね。
その当時は秋田では電車も普通に「汽車」と呼んでいたので、就職先で汽車と言うと秋田ではまだ汽車つまりSL・蒸気機関車が走ってるの?とバカにされたものです。
ひさしぶりにマンホール観察です。旧河辺町の頃から使われているもののようです。岩見川をおよぐサクラマスですかね?でもサクラマス、ヤマメとは模様がちがうなあ。点々からイワナかな?
はい、寄り道はここまでにして、十字路に戻って羽州街道を西に進みます。
十字路からチョット進みますと、見事な大木が左手に見えてきます。
大木の根元には太平山三吉神社の石碑があります。この度では何度も登場している秋田ではメジャーな神社です。
大木の横に、登りの道があります。太平山三吉神社から分枝されたお宮と和田公園があるので行ってみましょう。登る途中になにか祠のようなもの?があるようですね。
祠のようなものの中には、毎度おなじみ庚申塚がありました。つまり太平山三吉神社への登り口のあたりが、和田の町の昔の入り口のようです。
この庚申塚の祠というか囲いは、昭和39年4月25日に改築されたようです。大切にされているようですね。
それでは、登っていってみましょう!!
登っていくとやがてこのように二本の大木に挟まれた階段が現れます。
かっこいいですねー
階段を登ると、神社の御社がありました。
御社の中にはお供えがされており、和田の方達に大切にされている神様だと言うことがわかります。
三吉さんから見る和田の町です。羽州街道沿いを東に見ております。つまり歩いてきた戸島方面ですね。右手の黄土色の建物が秋田市河辺市民サービスセンターです。
今度は三吉さんから北側を見ております。向こうに見えるのは国道13号線です。
神社の近くに三角点が埋設されておりました。基準点成果閲覧サービスによると、標高44.99m四等三角点だそうです。
和田公園が併設されていますので、こちらも見学します。
こちらの石碑には日本一とありました。昭和50年度住民活動賞全国表彰受賞だそうです。
今年の大雪の影響か、こちらでも看板が折れて倒れておりました。ぜひ直してあげてください。
これを執筆中は10月なので、もう直っているかも知れませんが。
こちらにも石碑があり、奥にりっぱな休憩所?がありました。
和田公園80周年記念碑とのことです。和田地区は住民活動が盛んなところのようです。
こちらは、休憩所?です。ここからの公園の長めはとても良いですので、春には花見にちょうど良さそうですね。それでは、羽州街道に戻りましょう。
太平山三吉神社の登り口まで戻りまして、羽州街道を再び西に進みます。
庭木が街道沿いに植えられており、さながら並木道のようで雰囲気が良いですね。
加賀屋商店さんの前を通過します。こちらの酒屋さんも、昔の建物ですね。カッコいいです。
和田下丁バス停前を通過します。
右手に柳原さんというお店がありまして、
そのお店の軒先にあるバス停は、なんと「柳原前」と言う名前です。秋田市の木内デパート前のバス停が「木内前」となっているのと同じです。この辺りのランドマーク的なお店だということなのでしょう!!
さらに、羽州街道を西に進みますと、立派なお屋敷が街道の両脇に並んでいる地域があります。
まさに、街道沿いの街であるという雰囲気がとても感じられます。
和田は江戸時代の宿場、和田宿です。戸島宿とともに月を二分して、上15日は戸島が、下15日は和田が宿の役務を交代で務めたそうです。
おそらく、この辺りのお屋敷は江戸時代にはこの地域の肝煎をされていたお宅なのだと思います。参勤交代の時は、本陣に代わって宿になったりしたのかも知れませんね。うーんと、秋田では肝煎というはずですが、地方によっては名主とか庄屋とか言うかも知れません。くわしくは、Wikipediaをどうぞ。
和田駅からちょっとで、この雰囲気を味わえるのですから、なかなかの穴場かと思います。写真では伝わらないかも知れませんので、是非和田の町を散歩してみてください。
ぜひ、徒歩でじっくりと味わってほしいです!!
現代にうまく調和して残る静かな街道の町だよね
それでは、羽州街道を進みましょう。お屋敷群の近くにあります和田上丁バス停前を通過します。
ほぼ西に向かっていた街道は大きく曲がり、北西へと向かいます。
このちょうどカーブをするあたりの左手にある「あすなろ印刷」さんの軒下には、石に書いた招き猫やらアマビエの御札やらなかなか面白い置物が飾られておりましたので、おもわず写真を撮ってしまいました。いい味出してますね。いいです!!
カーブをした後、羽州街道は北西に進みます。
街道の左側に陽田寺の門がありましたので、入ってみます。
参道の途中に夫婦地蔵堂があります。
地蔵像の由来というか、建立時期が解ります。明治期の建立ということで、結構新しいですね。
いや、それでも100年は経ってますよ
江戸期より前じゃないと古くないと思うようになっちゃってるかもw
陽田寺参道をさらに進みますと
国道13号線に出てしまいました。参道は国道13号線で分断されてしまったようです。
向こうにお寺が見えますので、陽田寺さんなのだと思います。かなり新しい建物ですので、おそらく国道13号線の拡張工事の際に移転もしたのだと思います。ただいま河辺の辺りの国道13号線は拡張工事中の真っ最中なのです。
ーーーー2022-1-4追記
秋田県立博物館に「足栗毛」という資料があるそうです。
どうやら、弥次喜多道中で有名なで十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にあやかって付けた題名のようで、刈和野〜土崎までの羽州街道沿いの風景二十箇所を描いたものだそうです。
秋田県立博物館研究報告というものが、Web上でPDFで読めるのですが、その第31号(2006年)でこの「足栗毛」が紹介されておりました。これです。
作者不明ですが江戸時代の羽州街道沿いの風景がよく解る資料だと思います。
5ページ目に
「10 和田 和田村
わた々々(わたわた)と ふるふよふなり(ふるうようなり) むらのざま」
という説明ともに江戸時代の和田村の風景画が紹介されております。
街道のカーブの具合といい、そこから伸びる参道らしき道とその先のお寺らしき建物はといい、おそらくこの辺りの風景だとおもわれますし、お寺はおそらく陽田寺さんでしょうね。
当時の和田の羽州街道沿いの風景がわかるとても良い構図です。
また、和田村の名前にかけて、わたわたと賑わっている村の様子を読んでいる詩が粋ですよね。
この風景画がカラーで見られないのが残念です。
秋田県立博物館さん、是非ともデジタルアーカイブで「足栗毛」の公開をおねがいしまーす。
ーーーー2022-1-4追記ここまで
しょうがないので参道を戻り、羽州街道を北西にすすみましょう。
床屋さんの傍らにお地蔵さんがありました。
そして、羽州街道は国道13号線へ合流します。絶賛工事中です。
陸橋へ登り、国道13号線を眺めながら、今回は終わりにしたいと思います。
つぎは、おそらく石川一里塚へたどり着くことと思います。
その3につづきます。
前回その1はこちら
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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!
和田公園の看板直してあげてください。もう直っていたら、ごめんなさい。
2022-1-4 秋田県立博物館さん、是非ともデジタルアーカイブで「足栗毛」の公開をおねがいしまーす。カラーで!!
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2021-11-26:初稿
2022-1-4:足栗毛の資料内容を追記
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