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どうもー、白くま父さんです。
石川一里塚〜船沢一里塚編に入って、今回は第3回目になります。
石川一里塚跡から船沢一里塚までの経路は以下のとおりです。
黄緑色の部分が、前回まで歩いた経路となります。前回、宮崎の集落を抜け国道13号線に合流し、再び13号から分岐するところまで歩きましたので、そこからスタートです。
こちらが前回到達した分岐点ですね。左に進むのが国道13号線です。参考文献1、2は右に進んでいます。ところが、我らが伊能忠敬様は左に進んでいるのです。よって、羽州街道は左側、現国道13号線側なのです。どうやら、
江戸時代:羽州街道 左側
大正時代くらい?:国道 右側
昭和40〜50年代 : 国道13号線 左側
と国道が付け替えられ、結局元の羽州街道の経路に戻ってきたようです。経緯は、あとで調べてみますね。分かったら追記しますよ。
ということで、羽州街道であり現国道13号線である左側をすすみます。
ということで、国道13号線を進みますが、ちっとも羽州街道の雰囲気はありません。
道の左側に段差があるところを見ると、現国道13号線を通す時に、山の斜面を削って切通しの工事をしたようです。
おそらく、江戸時代羽州街道のころは山の中を通る道だったことでしょう。
そして、元の羽州街道は工事で削られてしまったのでしょう。だから雰囲気が無いのだと思います。
近代的になってしまった羽州街道をすすみます。
やがて道の左側の段差がなくなります。右側の杉林が羽州街道の雰囲気を取り戻しつつあることを感じさせます。
左側にちょっと分岐があるので、旅中はもしかしてこっちが真の羽州街道なのかと思って行ってみました。
左側の分岐はチョット進みますと正面にお墓があるのですが、
お墓に行く途中にこのような道があり、あやしいと思って進みました。でも
太陽光発電のパネルが大量に並んでいるだけでした。。。なーんだ。。。
ということで、国道13号線に戻ってきて、10m程度すすみますと右に分岐があります。
こちらが伊能忠敬様が指し示す羽州街道で、国道13号線とはまたお別れです。
右側のちょっとある杉並木といい、この道の幅といい羽州街道の雰囲気を取り戻しておりますな!!
やがて、街道は坂を下ります。
坂をおりると、道と合流します。右から来る道は、今回(現在読んでいるその3のことですよ)の旅の一番最初にあった右側の分岐を参考文献1、2の通りに進むとたどる道です。つまりここで合流するわけです。
そして、羽州街道は左に進みます。坂を下ったところに集落があるので、地名が坂ノ下なんでしょうかね?
江戸時代の神内地域の様子が解る資料があります。
その2でも紹介しました秋田県立博物館所蔵の「足栗毛」という資料です。これです。
4ページ目に
「8 神内」
とあり、江戸時代の神内の風景画が紹介されております。
ちょうど今下ってきた坂の部分の風景であると思われ、8ページ目の説明によると坂の途中に「太平山大権現」の石碑と「庚申塚」が有ったようですが、今の坂の途中には無かったですねー。
山間にある神内坂ノ下地域が実にいきいきと絵ががれております。
いやー、是非もっと詳細で綺麗なカラーでみたいです。
秋田県立博物館さん、是非ともデジタルアーカイブで「足栗毛」の公開をおねがいしまーす、カラーで。
合流地点から左に街道をすすみますと、10mくらいで左側に茶色い建物が見えてきます。
この建物の扉が開放されておりまして、二部屋あるようです。
左側の部屋にはこのように庚申塚や、なにやらカッコいい大量の自然石が安置されておりました。
もしかすると先程出てきた「足栗毛」に描かれていた庚申塚はこちらに移設されているのかも知れません。
どうですか、この自然石たち。おそらく、村内に昔点在していたものをここに集めたかんじなんですかね。見つけられませんでしたが、もしかすると「太平山大権現」の石碑もここに有るかも知れませんね。
そして右側の部屋には、たくさんのお地蔵さんです!
さて、茶色い建物から100mくらい街道をすすみますと、線路にぶつかります。もちろん、奥羽本線です。羽州街道はここで分断されておりますので、恒例のワープをします。
赤の破線のように進みたいのですが、奥羽本線で遮られておりますので、黄緑色の線のように回り道をしてすすみます。ワープです!!
参るぞ!!
ーーーーワープここから
奥羽本線沿いに道がありますので進みますと、坂道がありますので登ります。
ちょうど桜の咲く時期にたびをしておりました。綺麗に咲いてますねー
坂道を登り終わりますと、国道13号線に合流します。
国道の向こう側に河辺こ線橋の看板があり、その横に歩道があるので渡りましょう。押しボタン信号があるので安全に渡れますよ。
河辺こ線橋を渡り、奥羽本線と神内川を越えます。「こ線橋」は漢字ちゃんと書くと「跨線橋」で線路を跨ぐ橋という意味になり、漢字で意味が解るから別に漢字で書けば良いのにね。中途半端に平仮名にされても意味が解りづらく逆に不親切な気がしますよ。個人的な意見ですがねー。
河辺こ線橋を渡り終わると、右に分岐がありますのでそちらに曲がり、一旦国道13号線とお別れです。
そして、奥羽本線に突き当たるまで歩くとワープ終了です。ちょうど奥羽本線の向こうにワープの開始点がみえます。ちょっと省略しましたが、大丈夫。
どうせ、これから羽州街道をたどる時に省略したところを
また通るんじゃからな
ーーーーワープここまで
それでは、羽州街道をすすみましょう。
ちょっと街道を進みますと、右手にこんな杭が建っておりました。ここには重要な電話関係の通信ケーブルが埋設されているようです。初めてみました、というか普段気づかないかも。
街道は、この橋で神内川を渡ります。江戸時代も橋がかかっていたのかな?
橋を渡ると左手に(この写真は振り返っているので右手になってますが)神内地区の消防団の消防器具置場があります。
この消防団器具置場の壁に「消防信号」の看板があったので面白いので激写しておきました。
「応」の字が旧字というか異体字の「應」になっているところがカッコいいですな。
打鐘、つまり鐘のうち方と、サイレンの鳴らし方で、それぞれ意味があるんですね。
Wikipedia:半鐘によると、「打ち鳴らし方は各府県令によって定められた」とありますから、この消防信号は秋田県独自のものということですね。
打鐘信号はこの通り叩けばいいのでしょうけど、サイレンはよくわかりませんね。この三角とか直線はどういう意味なんでしょうかね?お解りになる方、ご教示をお願いします。
羽州街道は東へ進みます。なだらかな坂道をちょっと登りますと
国道13号線へ合流します。ま、先程のワープ中に通った道はここまでですね。
ちょっと国道13号線をすすみますと、すぐに左に分岐があらわれます。
そちらが羽州街道ですので、国道を渡って分岐に向かいます。
羽州街道は大田面の集落へ入っていきます。
酒田商店さんの前を通過します。
街道沿いの集落の雰囲気を感じますね。この右手のお宅の門の裏には
昔の郵便ポストが隠れていました。これはおそらく今際使われていないのだと思います。
趣味でお持ちか、隠れキャラ扱いですかねw
右手に国道13号線がみえますね。この辺で振り向きますと
なかなか雰囲気のあるいいお宅があります。
川原田一里塚〜石川一里塚編 その3で紹介しましたように、国道13号線の河辺地区の拡幅工事で将来和田坂本交差点からこの辺りを通って、この先の出羽グリーンロードの入口付近まで、横手・大曲方面に向かう2車線ルートが建設される予定となっております。
よって、この辺りは用地買収が行われていることでしょうし、この道も2車線にするためにやがて工事がされることでしょうから、この雰囲気を味わうのは今のうちでしょう。
訪れるなら今のうちじゃぞ!!
そろそろ再び羽州街道は国道13号線へ合流する様子を見せかけた時に、
右手になんと「和田カニ牧場」の看板があります。
カニの牧場ですよ、この内陸に。
すげーw
この奥に「カニ牧場」があるんですかね?
羽州街道は国道13号線に合流しました。
出羽グリーンロードの入口を示す青看板が出てきましたね。
やがて右手に出羽グリーンロードの入口が見えてきました。湯沢方面に車で行きたい人は通っても良いかも知れませんが、路面の状況はあまり良くありませんのでオススメしません。なぜなら、白くま父さんは道路に出来た穴にタイヤが落ちた瞬間パンクしてしまって、大変な目に有ったことがあるからです。なので、漢は黙って国道13号!!がよろしいかと思いますw
いや、高速でもいいですけどねw
いやいや、そこは羽州街道なんじゃねえの?
羽州街道をさらに進みますと、右手に貯木場がみえてきますが、
この積まれた木と木のあいだから、「ビッグドン」と書かれた建物がみえます。
実はですね、白くま父さんが大学生の頃、つまり1990年代ですが、ここには「ビッグドン」(食料酒など24時間販売の店)、「どんどん」(24時間営業のゲームセンター)、「この店かしや」(秋田ローカルのお菓子のディスカウント店)が有ったのですよ。
「ビックドン」にはあまり行った記憶はないのですが、ゲームセンター「どんどん」には当時秋田ではめずらしい大型筐体ゲーム機が大量に置かれており、それを目当てに大学時代にはサークルメンバーと夜な夜な訪れたものでした。
そして、「この店かしや」はここ以外にも、秋田市内に何店舗かあり、それはもう卸値と思われる安さでお菓子が大量に買えるのですから、子どもたちのパラダイスでした。
あのころは、TVでCMもやっており、まだ覚えてますよ!!テーマソングの歌詞!!
「美味しいお菓子の大行進!!パパ・ママ買ってね、この店で〜♪お菓子のやかた、この店か〜し〜や〜♪」
こんな歌詞でした。そして、この店で買った時に入れてくれる袋には、このテーマソングの五線譜と歌詞とたしか男女のキャラクターが書かれていたのはずですよ。あー、あの袋、家に残ってないかな。
たぶん、バブルが弾けたと同時に経営難になって倒産してしまったんでしょうね。懐かしいやら、かなしいやら。結構検索するといろいろ情報が出てきますから、懐かしいと思った方、ググれw
さて、この貯木場わきをドンドン進みますととうとう大仙市に入ります。ここで秋田市とはお別れです。長かったですねー。
かつては御所野までが秋田市だったんですけど、2005年(平成17年)のいわゆる平成の大合併時に河辺郡が合併したのでいやー広くなりましたよ。
ま、つぎの大仙市も、ものすごく大きくなったんですけどねw 白くま父さんのご先祖発祥の地、大曲が市名から消えちゃって悲しいことです。
さあ、ここから美郷町に抜けるまで大仙市ですよー
新たな気持ちで旅をしましょう!!
さきはまだ長いぞ!!
さらにさらに貯木場わきを進みますと、左手にカニの直売所があります。白くま父さんはなんでここにカニの直売所があるのか、しかも秋田産で、長年の謎でした。
でも、今回の旅で分かりましたよw
わしも分かったぞw
そう、みなさんもお分かりですよね。
そう!!先程のこの「秋田カニ牧場」!!
ここで養殖されたカニが直売されていたと言うことなんですね!!あースッキリw
スッキリしたところで、羽州街道を進みましょう。
右手にある出羽グリーンロードのある丘陵には多くの太陽光発電のパネルが置かれているのが見えます。雪国で太陽光発電って、冬は日照時間が短くてパネルにも雪が積もるから、発電余り出来なくて元が取れなそうな気がしますが、補助金でプラスって感じなんでしょうね。
四季の湯、入ったことありますよ。場所は下のGoogleマップを参照ください。協和スキー場に行く途中ですよ。
秋田県内の温泉をめぐるなら、あきたタウン情報さんが毎年3月末頃発売している温泉ガイド本「あきた日帰り温泉」がおすすめです。たった1100円の本を買って持っていくだけで、掲載すべて99の温泉施設で、入浴無料・半額などの特典が受けられるのがとてもいいです。
白くま父さんの車のトランクには、着替えとタオルなどの温泉セットが常備されているので、この本とともに県内を巡っております。もちろん、羽州街道の旅の後も温泉に入っているわけです。
でも、コロナ禍のせいで今年は例年より行けませんでしたね。。。
全くですよ。急がずにゆとりですよ。ゆとりを持って羽州街道を歩き旅、いかがですか?
ラッパスイセンが綺麗に咲いております。
乗合タクシーの下船沢 停留場前を通過します。
つぎは、秋田教習センターさんの前を通過です。こちらはクレーンとかフォークリフトとか専門的な教習所のようですね。
桜がいい感じですね。
青看板に「山形192Km 湯沢74Km 横手55Km」とあります。遠い!!
はい、ということで協和船沢集落に入るチョット手前のこの辺が、参考文献3によると今回の目的地である船沢一里塚の跡と推定される場所のようです。
参考文献3によると船沢一里塚の塚木はサイカチだったそうで、その種から生えた二代目もしくは三代目くらいのサイカチの木がおそらくこの写真に写っている木であろうとのことです。
たしかに、2021年12月に再訪した時、この木の付近には大きなサヤに入った豆のような種が沢山落ちておりました。サイカチはマメ科の植物ですから、種は豆のような感じなのは当然ですね。昔は石鹸の代わりにしたそうですよ。
参考文献3が出版された頃は船沢一里塚が載っている公図(地引絵図)が大仙市役所協和庁舎あったようですが、どうやら現在は大仙市アーカイブスで整理中で閲覧できないようです。閲覧できるようになったら、情報追記しますね。
目的地である船沢一里塚にたどり着きましたので、今回の「秋田県南部羽州街道歩き旅 石川一里塚〜船沢一里塚編」は、その3で終了です。
今回の石川一里塚〜船沢一里塚編も伊能忠敬様に大いに助けて頂きましたね。
今回で秋田市は終わりだな。
そうなんですけど、秋田市での落ち穂拾いをしてから、大仙市の旅を書こうと思ってます。
あー、あれかー
1.久保田城から楢山登町までの参勤交代の経路
2.茶町筋
だな。
そうです。その2つを番外編的な感じでやってから、
大仙市の旅に入ろうと思います。
ということで、次回「秋田県南部羽州街道歩き旅 久保田城〜楢山登町編」その1にご期待下さい!
前回その2はこちら
まとめページはこちら
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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!
大仙市アーカイブスさん、はやく旧協和町の特定歴史公文書の整理をお願いします。
船沢一里塚の公図を閲覧したいです!!
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参考文献1:秋田県教育委員会「歴史の道調査報告VIII 南部羽州街道」1986
参考文献2:藤原優太郎「羽州街道をゆく」無明舎出版 2002
参考文献3:佐藤晃之輔「秋田・羽州街道の一里塚」秋田文化出版 2013
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初稿:2022-2-16
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