秋田県南部羽州街道歩き旅 八橋一里塚〜牛島一里塚編 その4

秋田県南部羽州街道
2021-3-20 大町商屋館 福禄寿

まとめページはこちら

前回のその3はこちら

どうもー、白くま父さんです。

秋田県南部羽州街道歩き旅、やっと4回目です。

八橋一里塚跡から牛島一里塚までの経路は以下のとおりです。前回までに通町のせきやさんまで歩きました。

今回は、もうちょっと通町界隈を散策してから、大町筋へ向かいます。

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2021-3-20 通町 仕出しのせきや

せきやさんの角を曲がって南下し馬口労町に至る道筋を、茶町筋もしくは茶町通りといい、大町筋が羽州街道になるまでは、茶町筋が羽州街道だったそうです。といっても、大町筋の一本西に並行して通っている道ですので、実際は茶町筋も大町筋と同時に羽州街道として使われていたようです。

今回は、大町筋をたどりますが、他の機会に茶町筋もたどることにしますね。

もう少し通町を探索します。東へ向かいます。

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2021-3-20 佐野薬局 通町本店

佐野薬局 通町本店さんです。白くま父さんが大学の新人歓迎会で潰された時に、母上が二日酔いの薬を佐野薬局さんで買ってきてくれたのを思い出しますねえ。え?どうでもいいですか?。ホームページはこちらです。江戸時代初期には既に通町で営業されていたとのことです。

佐野薬局さん、YouTubeチャンネル持ってるんですね。すごい!!

通町の拡幅工事をする前は、なかなか味のある昔の建物だったのですが、あたらしい店舗になってます。昔の建物は20世紀ひみつ基地さんを参照してください。

youtubeに佐野薬局さんを取材している動画がありましたのでリンクを貼っておきます。

3人に合うお薬はどれかな~?

「ちぇすと越前APのあなたの街でシニアとDo!!」通町商店街編

さらに東にすすみます。

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2021-3-20 カモヤ眼鏡店

カモヤ眼鏡店さんです。秋田県民なら言わずと知れたこのCM!!

メガネのカモヤCM

素晴らしすぎます。記憶に見事に刻み込まれております。

カモヤさんのホームページはこちら

youtubeにカモヤさんを取材している動画がありましたのでリンクを貼っておきます。

3人は眼鏡屋さんへ♪高級眼鏡に仰天っ!!

「ちぇすと越前APのあなたの街でシニアとDo!!」通町商店街でメガネをかける♪

白くま父さんは、まだ裸眼でOKなんですが、老眼がきたらカモヤさんで眼鏡作らせていただきます!!

2021-3-20 旧上通町 標柱

カモヤさんの横には旧上通町の標柱が建っております。

「土崎湊から久保田城に至る重要な通り道という意味の町名で、慶長(一五九六〜一六一四)の中ごろに町割りされ、野菜、薪、柴などの日市を開く特権を持っていた」

さらにその横には招福稲荷神社がありました。

2021-3-20 招福稲荷神社
2021-3-20 招福稲荷神社

文政13年(1830年)くらいから、ここにいらっしゃるようですね。

2021-3-20 招福稲荷神社

平成13年(2001年)に改修が行われたのでしょうかね。通町の名だたるお店がご寄進されておられます。

2002年から招福狐の行列祭りが実施されているとのこと!!知りませんでした(というか、その頃県外に居たのでわかりませんでしたね)。

10月第2土曜日に開催されるとのことです。あーそれで、通町のシンボルでよくきつねさんお面のイラストを見るんだ。

場所はこちら

さらにさらに東に進みます。

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2021-3-20 後藤酒店

後藤酒店さんです。秋田市に帰省した際は、こちらで地酒を買うのが白くま父さんの恒例です。

昔、優しい店主さんにおすすめのお酒をきいて、生酒の「美酒の設計」を教えていただきました。今年も買いに行こうっと。

ホームページはこちら

youtubeに後藤酒店さんを取材した動画がありましたので、リンクを貼っておきます。

通町お酒の後藤さんにおじゃましま~す!そこでAPが急遽貴重なお酒に命名!?

3人は通町でDo!?

2021-3-20 高砂堂

後藤酒店さんの隣は、高砂堂さんです。老舗のお菓子屋さんです。旭南高砂堂さんは親戚のようですね。

こちらは、お店の中がとてもレトロで雰囲気が良いんですよ。二〇世紀ひみつ基地さん参照。

ホームページはこちら

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さらに東に行くと、旭川を通町橋で渡ります。

この旭川は、元々は千秋公園のお掘の方に流れていたそうですが、佐竹義宣公が秋田に入ったときの城下町づくりの際、中島の鉄橋(秋田工業高校の横にあるやつですよ)のあたりから、現在の流れに掘り変えたそうです。中島の辺りが低いのはもともと川だったからなんですね。

その掘り変えた際に出た大量の土砂で、当時湿地だった久保田城下(楢山、中通等々)を埋め立て、侍の町を造成したそうです。そして元の川筋は堀として利用したわけです。

秋田の江戸時代版シムシティーですな。

この辺のことを書いた良い記事がないかなと思ったら、やはり二〇世紀ひみつ基地さん「幻の仁別川の流れを辿る」。この情報の質、敵いません。

2021-3-20 通町橋
2021-3-20 通町橋 秋田地方海軍人事部跡碑

通町橋のたもとに、秋田地方海軍人事部跡碑がありました。

2021-3-20  秋田地方海軍人事部跡碑

「昭和十六年四月一日設置 昭和二十年十一月二十日廃止」

第二次世界大戦の日本参戦前に設置され、終戦後廃止ということですね。

2021-3-20  秋田地方海軍人事部跡碑

「昭和六十年八月十五日 秋田縣海軍出身者有志建立」

終戦40周年を節目に終戦記念日に建立ということですかね。

参考文献1にこのような記載がありました。

「その仕事内容は海軍志願兵徴募、招集事務、海軍軍人遺族保護、海軍在郷軍人指導等、その他一般兵事務、並びに講演、映画、軍事思想啓蒙普及に関する事務を行った。」

ふーん、海軍関係の事務方の役所だったということでしょうね。なるほど。

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さて、このまま、千秋公園に近づいていくと、羽州街道を何時までもたどれません。千秋公園つまり久保田城界隈はまたの機会に巡るとして、通町橋を戻って行きましょう。あー鷹の松みたかった!!すぐそこなのにー。

カモヤさんと佐野薬局さんの間くらいまで戻ってきて南をみます。

2021-3-20 大町商屋館

こちらの大町商屋館さんの横の道が、羽州街道の大町筋です。ここを馬口労町まで南下していくことになります。

大町商屋館さんの前には、いらっしゃいます。通町のシンボルの彼が。

2021-3-20 大町商屋館 福禄寿

いらっしゃいますねえ、福禄寿さま。私の子供の頃もおられました。たもとにお賽銭が入っていたりしましたよ。

でも、昔の記憶では福禄寿さんの角度が90度違うんですよね。いまは通町に向いてますが、昔は大町筋に向いていたような。

というか、ここ瀬戸物屋さんだったはずなんですけど?困った時の二十世紀ひみつ基地さん:通町名物「青井陶器店」福禄寿

やっぱり、記事がありますねえ。さすがです。

拡幅工事で青井陶器店さん、立て直して大町商屋館に入ったんですねぇ。当時県外に居たからわかりませんでした。なるほど。

これからも、通町のシンボルで居てくだされ!!昭和13年(1938年)頃からいらっしゃる古株ですからね。

ーーーー2022-1-4追記

秋田県立博物館に「足栗毛」という資料があるそうです。

どうやら、弥次喜多道中で有名なで十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にあやかって付けた題名のようで、刈和野〜土崎までの羽州街道沿いの風景二十箇所を描いたものだそうです。

秋田県立博物館研究報告というものが、Web上でPDFで読めるのですが、その第31号(2006年)でこの「足栗毛」が紹介されておりました。これです。

作者不明ですが江戸時代の羽州街道沿いの風景がよく解る資料だと思います。

6ページ目に

「16 大町 御城下 大町壱丁目より 通り町の遠景」

という説明ともに江戸時代の通町の風景画が紹介されております。 

店が立ち並び、昔から通町が賑わっていたことが解りますね。

カラーで見られないのが残念です。

秋田県立博物館さん、是非ともデジタルアーカイブで「足栗毛」の公開をおねがいしまーす。

ーーーー2022-1-4追記ここまで

はい、ということで、通町はこのへんでおわりにして、福禄寿さんの横を通って、大町筋を南下します。

そして、大町商屋館さんの直ぐ後ろに、また立ち止まってしまうのでしたw

2021-3-20 旧金子家住宅と民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)

カットを変えてもういっちょ。

2021-3-20 旧金子家住宅と民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)

旧金子家住宅と民族芸能伝承館(ねぶり流し館)です。ホームページはこちら

右のモダンな建物が民族芸能伝承館(ねぶり流し館)です。ホームページを引用しますと

「民俗芸能伝承館は、竿燈をはじめとする郷土の民俗行事や芸能の保存伝承のため、秋田市立赤れんが郷土館の分館として平成4年に開館、“ねぶり流し館”の愛称で親しまれています。」

ということです。その2でちょっと話に出た秋田万才も、たまに観覧できるときいたことがあるのですが、どうなんでしょうかね?

左の旧家が、旧金子家住宅です。この辺りの地主さんときいています。またまたホームページを引用しますと

「金子家は、江戸時代後期に質屋・古着商を営み、明治初期に呉服や太物(綿織物・麻織物)などの卸商を創業し、昭和50年までこの店で商いが営まれました。
旧金子家住宅は、江戸時代後期の町家の特徴を残す伝統的な建物であり、主屋1棟、土蔵1棟から成ります。
明治19年の俵屋火事により主屋や米蔵などが焼失しましたが、土蔵は耐え抜き、金子家の守り神として大切に扱われてきました。(主屋は明治20年に再建)
平成8年に所有者から秋田市に寄贈され、平成9年に秋田市指定有形文化財に指定されました。」

みたーい、拝観したーい。外から見える屋根にある天水桶っぽい瓶がカッコいい!!

ちなみに「俵屋火事」いうのは、明治19年4月30日に起こった火事でこの界隈を焼き尽くした大火事だったときいております。秋田県広報「あきた:89号」に記載がありましたので引用します。

「四月三十日午後十一時十分ころ、南秋田町川反四丁目、田原吉之助、亀谷東吉家屋間のノシ板より発火、原因未だ確かならず取調中。折りふし東南の風烈しく、たちまち本町四丁目に出、茶町梅ノ丁、大町三丁目、上米町二丁目、下米町、寺町等延焼し、飛びて八橋村公園地、転じて寺内村、国幣小社古四王神社に飛び火。さらに秋田亀ノ丁上丁十六番地、岡本賢長屋より出火、西土手亀ノ丁、横町、鉄砲町、四十間堀に延焼す。しかし消防夫たるものも、また多く火災にかかり、自家の防禦に奔走して他を顧るの暇なく、故に火防全備の隊伍をうるあたわず。焼失戸数、死亡人、ケガ人等は次の如し。戸数三千五百五十四戸、死亡人十七人、ケガ人百八十六人。」

おそろしい。。。ものすごい範囲が焼けてしまっていますね。とんでもない被害です。

こちらのページには、俵屋火事類焼図が記載されておりましたので、参照ください:街プラあきた中央さん

2021-3-20 旧金子家住宅と民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)

観覧料は大人100円と超安いです。さらに高校生以下は無料ときました。もう、ほとんど無料です。

この日も、是非入館して見学したかったのですが、基本的にこの旅は早朝に実施しております。ねぶり流し館を通過したときは、まだ朝の8時でしたので、まだ開館しておりませんでした。後日何回か入館を試みるも今度は駐車場が常に満車で、4月29日現在未だ入館できずにおります。あー、見たいよう。

また歩いてくるしか無いか?

今回は、ねぶり流し館までで終わりにします。

最後に、秋田県立博物館デジタルアーカイブの荻津勝考作「秋田風俗絵巻」に通町・大町界隈の賑わう風景がありましたのでご覧ください(こちら)。いやー、江戸時代から活気があったんですね!!(2021-5-23 追記)

次回も引き続き大町筋を南下していきますよ。

その5につづく(やっと大町筋にはいった。。。。)

前回のその3はこちら

まとめページはこちら

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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!

。。。。ねぶり流し館の駐車場、もうちょと増やしてくれると嬉しいです。。。

秋田県立博物館さん、是非ともデジタルアーカイブで「足栗毛」の公開をおねがいしまーす。(2022-1-4追記)

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参考文献1:秋田県戦争遺跡研究会「秋田県の戦争遺跡―次世代を担うあなたへ」2020

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初稿:2021-4-29

追記:2022-1-4

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