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どうもー、白くま父さんです。
秋田県南部羽州街道歩き旅、はやくも5回目です。
八橋一里塚跡から牛島一里塚までの経路は以下のとおりです。前回までに大町のねぶり流し館まで歩きました。
今回はいよいよ大町筋を南下していきます。この辺は大町一丁目です。
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はい、どんどん南に向かいますよ。ねぶり流し館前バス停は、前ってほどじゃない、ちょっと南にありますね。
向かいを見ると、ん?日乃庭縁起神社とな?
サン・パティオ大町さん、入ってみましょう。私は車両じゃないから、進入しますよw
奥に入って、小さな広場の奥の階段を登ると鳥居とお宮がありました。
えーと、日乃庭縁起神社の由来を読んでみましょうか。
「サン・パティオの名前にふさわしく「陽の当たる場所」、そのイメージで【日乃庭縁起神社】と名付けました。」
とありまして、鎮座:平成24年6月26日 ですから随分お若い神様だということですね。
何百年と貫禄のついた神様も初めは若かったのでしょうから、がんばって貫禄を付けてくだされ!!
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また、羽州街道にもどりまして、南下をつづけます。お!、あくらさん、ありますね。
この、石畳の奥をすすみますと
開けた広場の正面が、ビア・カフェ あくら さん。
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大昔に、おデートでクラフトビール飲みながらピザ、ソーセージを食べたことがございます!!
もちろん、美味しかったです。私よりもお相手の方が食べること食べることw おデートを忘れるくらい、美味しかったのでしょう。
あくらさんは、地ビールも醸造されておられ、さらにさらに毎年、秋田地ビール三大祭に協賛?というか実行委員会があくらさん内にあるんで、主催されておりますと言っても良いでしょう。
クラフトビアフェスティバル in AKITA 秋田地ビール三大祭を主催する秋田地ビール三大祭実行委員会のホームページです。東北地ビールフェスティバルin秋田(毎年6月3週目に開催)、秋田ビアフェス(クラフトビアフェスティバル)(毎年8月下旬に開催)、秋田オクトーバーフェスト(毎年10月に開催)は、毎回白くま父さんは必ず仲間と参加しております。2020年、2021年は残念ながらコロナ禍で中止となりましたが、2022年は開催を期待しております。
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羽州街道、南下を続けます。ここから大町二丁目。このだだっ広い空き地はなんだ?広い駐車場か?
一瞬、わかりませんでしたが、あーこれ、ダイエーの跡地なんですね。行ったなー、ダイエー。
最上階のゲームセンター、スペースハリアー、OUT RUNの全体が動く筐体は、秋田ではここにしか無かったような。
1階にあったクレープ屋、田舎モンは初めてクレープ食いましたw
ダイエースプレー、中学高校生は髪を固めるのに使ったものです。
懐かしいです。
ありしの日のダイエーの姿は、おなじみ二〇世紀ひみつ基地さんの記事を参照ください。
1981「ダイエー秋田店・秋田ニューシティ」オープン さようなら「秋田ニューシティ」その1
そこに「秋田ニューシティ」があった・たそがれの街にて さようなら「秋田ニューシティ」その2
あの頃の秋田市は勢いが有ったなぁ、しみじみ
というか、この跡地、いま何に使ってますの?ほんとに、この一等地どうしますの?
ダイエー跡地の片隅に自販機と共に、大町通りのバス停があります。
このバス停名は、昔は「秋田ニューシティ前」だったんですよね。ニューシティつまりダイエー無くなったからねえ。
この自販機の中に秋田のヒーロー、超人ネイガーの自販機「あきた弁だー」があります。
超神ネイガーの声ですごくしゃべる、秋田DyDoカスタム自販機「あきた弁だ〜」は、秋田県内の57箇所に設置されております(Googleマップ)。
おや?このあきた弁だーの横にある構造物は?
ふと、お向かいのA・Dに目を向けると、そこにもありますね。
あー、これ、地下道だ。そういえば、あったあった。白くま父さんが、高校生くらいのときまでつまり20世紀の終わり頃なんですけど、その頃はこの通りは結構車の通行量多かったんですよね。いつも自転車乗ってた白くま父さんは、あまり地下道使った記憶ないけど、歩行者は使ったと思いますよ。
今は、地下道は閉鎖しちゃってます。
ちなみに、ファッションにうとい白くま父さんは、A・Dにはあまり行ったことがないです。2階にちょっとの間だけ、古本屋さんの「みしま書房」さんが有ったので、その期間は2Fに直行してましたね。
秋田市の古本屋さんも「みしま書房」「松坂古書店」「マウンテンブックス」無くなっちゃったなー
さて、A・Dの横に目をやると、カッコいい大町通りのバス停があります。
ん?奥にいらっしゃる気配がしますね。
いらっしゃいました。大町神明社さん。
由来がありましたが、かすれちゃってます。なんとか、読んでみましょう。
「大町神明社の由来
十六世紀以前の出羽国秋田郡の この一帯は、楢山村、程野村、川尻村の
中心の部落であり、村長川尻氏の もと平和な田園地帯であった。
関ヶ原以後久保田藩佐竹公国造り により千秋公園、鎮守の丘にあった
神明社をここ外町(旭川西側)に遷座し 伊勢の天照皇大神を祀り地域住民
氏子の崇敬心を集め今日に至っている。
例年7月の例大祭には大町地区の 商工業者によって
商売繁盛・開運・疾病平癒・家内安全の 祈祷が執り行われる。」
もともと、千秋公園にあったんですね。久保田城を造る時に移されたということですか。なるほど。
夏のお祭りで招き猫が売られると聞いたことがありますね。
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さて、羽州街道をさらに南下すると、山王大通りに近づきます。
日本銀行秋田支店ですねぇ。向こうに見える大通りが山王大通りです。
この秋田支店の建物は昭和27年に建てられたものだそうです。立派ですねえ。
ホームページはこちら(あるんですね!!)
見学も1週間前に申し込めばできるようですし、ホームページにはバーチャル見学もあります(バーチャルかなぁ?これ)
キャッシュレス決済が進むとお札の発券業務は少なくなるような気がしますねぇ。
習いましたよ、発券銀行、政府の銀行、銀行の銀行!!テストに出ます 以上w
さて、山王大通りをわたります。写真はないですw 急いで渡らないと!!
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はい、山王大通りを渡った羽州街道 大町筋は、これからしばらく通称「赤れんが館通り」と呼ばれます。それは、当然後で登場する赤れんが郷土館がある通りだからです。ま、赤れんが郷土館が登場するのは次回、その6の予定ですがねw
さて、いきましょうか。
こんなところに場外馬券売り場があるんですね。今回初めて知りました。
ま、白くま父さんは競馬やらないから、良いんですけど。
でも、実際に馬を見て買わなくても当たるんですかね?
競馬場に行って、パドックとかで馬を見たほうが当たるんじゃ?
ま、いいや。
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赤れんが館通り(大町筋)を、さらに南下します。
秋田県農協電算センターさんがあるのですが、ここの前庭に石碑が立っております。
1881年(明治14年)9月に明治天皇が秋田県に行幸されたということで、秋田県内各地の行幸された跡に石碑が建ってます。
このような石碑を明治天皇聖蹟と呼んで、第二次世界大戦以前は史跡としてあつかわれたそうですが、終戦後は史跡を解除されたそうです。
ま、解除されても結構こうして残っているんですけどね。くわしくは、wikipedia参照
この石碑は、明治14年9月11日にこの場所に当時あった瀬川徳助さんのお家に泊まったよと書いてますね。資料によっては瀬川安五郎さんの家に泊まったと書いてあるものもあるので、徳助さん=安五郎さんなんでしょうかね?
瀬川徳助さんは、秋田銀行の前進の第四十八国立銀行の設立発起人の一人ですし、瀬川安五郎さんは、大仙市協和にあった荒川鉱山の払い下げを受けた人です。いずれにしても、お金持ちさんです。
2021-5-13 追記:瀬川徳助さんは、瀬川安五郎さんのお子さんということです。秋田のお店は、徳助さん名義にしたということで、実質安五郎さんのお家ということにもなるんでしょうね。
これから、羽州街道をたどっていく先にも結構明治天皇聖蹟はあるようですので、みつけたら紹介していきますね。
今回は、秋田県農協電算センター前の明治天皇聖蹟までで終わりにします。
次回も、大町筋を南下していきます。
というか、振り返るともうありますからね。
その6につづく(やっと山王大通り渡ったぞ)
前回その4はこちら
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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!
。。。。ダイエー跡地、再利用しません?
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初稿:2021-5-2
追記:2021-5-13
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