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どうもー、白くま父さんです。
秋田県南部羽州街道歩き旅、なんと7回目です。
八橋一里塚跡から牛島一里塚までの経路は以下のとおりです。前回までに大町筋、赤レンガ館通りの正一位位稲荷神社まで歩きました。
今回も大町筋の南下を続けます。ちなみに、この辺は大町五丁目ですね。
新政酒造さんのアーチ看板を通過しまーす。もう、長年の目印ですね。
さらに南下します。
お茶は辻吟、の辻吟さんのお店があります。Wikipediaによりますとかの辻兵さんのご親戚なんですね。Facebookはこちら
あれ?看板も「お茶は辻吟」なのでそれがキャッチフレーズだと思ってましたが、検索すると「お茶の辻吟」になってますね?んん?
昔CMも「お茶は辻吟」と言っていたような。。。。ま、いいか。
白くま父さんの母上は、辻吟さんのお茶が大好きです。というか、お茶は辻吟さんのものしか買ってないようです。
いつもお使いで、「極上 ほうじ茶」と「せん茶 惜春」買ってこいとか言われたものです。
というか、今も実家に帰ると買いに行かされます。秋田市だとスーパーでも辻吟さんのお茶が買えるんですよねー。
いつも、おいしいお茶をご提供いただきありがとうございます。
youtubeにCNA(秋田ケーブルテレビ)で辻吟さんを取材している動画がありましたので、貼り付けておきましょう。
辻吟のご店主、プラモデルが趣味なんですねw
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さて、さらに南下を続けますと、交差する道路の拡幅工事がされております。
横町通り(広面川尻線)の拡幅工事だそうです。ふーん、ん?広面と川尻ってつながるか?と思っていたら、あー、ここは南大通りから真っすぐでしたね。明田地下道経由でつながるのか。。。って、え?
あれ??白くま父さんこの光景に違和感がありますよ?あれ?むこうのドン・キホーテつまり昔の長崎屋まで道路貫通してますね。
んん?あ!!お寺は?この正面にはお寺があったよ。なくなってる!!
あと、長崎屋の横にはバッティングセンターがあったけど、あれもなくなって道路になってる!!
あのバッティングセンター、高校の帰りによって、会心の当たりでくす玉に当たったのに割れなかったんだよ。割れないんじゃねーか?インチキか?と思ったものです。そんなこと良いか。
どれどれと、検索してみますと、移転したお寺さんは「歓喜寺」さん。下北手へ移転されていますね。
二〇世紀ひみつ基地さんにやはり記事がありました。保存樹切っちゃったんですねえ。切っちゃっても良い保存樹って何なんですかねぇ?
久保田城下の防御の一端を担っていたお寺も、通りにくいからと移転させられてしまうのは、時代の流れなんでしょうね。
まあ、移転は檀家さんも含めて大変だったでしょうから、新天地で新たな歴史を築いていっていただけたらと思います。
というか、んじゃあ、バッティングセンターは廃業?移転?大当たりの景品もらってないぞ!!
でも、南大通り、明田地下道が激混みだったから、秋田中央道路トンネル(秋田駅、千秋公園のお堀の下を貫通)を通したんですよね?軟弱地盤と判ってて。今も地盤沈下をしているという話だし。。。
で、ここ貫通させて拡幅したら、また、明田地下道混むんじゃないですかね?え?あれ?
ま、車の流れがどうなるか、今後に期待しましょう!!
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どんどん、羽州街道、大町筋を南下します。大町六丁目に入ります。ちなみに、さっきの横町通りとの交差点以南は、どうやら赤れんが館通りと言わないようです。なんで?
大山祇明神(おおやまづみみょうじん)正一位稲荷大明神が合祀されておりますね。こちらは、大町六丁目町内集会所ともなっているようです。
昭和8年に奉納されております。昭和ひと桁台でももう90年近く前なんですねー、しみじみ。
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南下を続けます。感恩講街区公園にたどり着きました。
記念碑がありますが、ぱっと見は、よくわかりません。
記念碑の裏側をみてみますと
文政十二年とありますね。西暦では1829年となります。
すぐ横の電柱に説明がありますので、疑問はすぐ解消します。
「感恩講 発祥之地
感恩講は、文政十二年(一八二九年)、秋田藩御用達商人である那波三郎右衛門祐介が設立した『日本初の民間慈善団体』です。こ
の団体は、商人や町人から献金を受け米を備蓄し、凶作の折には施米をしたり、孤児を引き取り育てるなど、貧民救済のために多方面
に活躍した画期的な組織でありました。この地には昭和五一年(一九七六年)まで、感恩講の本部がございましたが、現在は児童
公園となっております。なお、この感恩講街区公園と道を隔てて居並ぶ新政酒造の蔵は、もともとは感恩講の米蔵でありました。現在
は新政酒造が保有し、その姿を現代まで維持しております。」
おお、『日本初の民間慈善団体』!!まずはその新政酒造さんの米蔵を見てみますか!!
この風情のある松並木の小道を挟んであるのは、
この立派な蔵です!!
そして、もちろん蔵を管理しているのは、秋田県民なら知っている新政酒造さんです。ほらさっき見た大町五丁目のアーチ看板のお酒ですよ。
感恩講は、現在は社会福祉法人 感恩講となり、感恩講児童保育院を経営しているとのことです。ホームページはこちら。Wikipediaはこちら。
ホームページには、電柱の説明よりも詳しく感恩講の歴史が記載されております。
電柱では「那波三郎右衛門祐介」が設立したとなってますが、ホームページでは「那波祐生(第8代那波三郎右衛門)」となっているところが違いますね。
「ローマ・東京・メキシコオリンピックで、三大会連続金メダリストとなった故遠藤幸雄氏は、中学・高校と当院で過ごした卒院生。」と歴史に記載があります。すごい!!
感恩講を立ち上げた那波家の徳に人々が感謝し、この旅のその4でもふれた俵屋火事の際、町の人々が那波家の屋敷を火事から守ったそうです。
この辺りのお話は、その4でもリンクをさせていただいた街プラあきた中央さんのページが詳しいですので、ごらんください。
ちなみに、那波三郎右衛門さんのお店は現在もございます。ホームページはこちら。
美味しい地酒「銀鱗」で有名な那波商店さんです。会社の代表者はなんと「那波 三郎右衛門」さんです。おぉ、ずっと襲名されているですねぇ。
さらに蔵を現在も維持管理されている新政酒造さんのホームページはこちら。
歴史を見てましたら「後に五代目卯兵衛となる、佐藤卯三郎は大学在籍時からその片鱗を見せました。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏が同窓生」との記載がありました。マッサンと同窓生ですか!!こちらもすごい。歴史を感じますなあ。
2021-5-25 追記
二〇世紀ひみつ基地さんに、さらに詳しい感恩講の記事がありましたので、リンクを貼っておきます。
相変わらず内容の濃い記事で素晴らしいです。こちら
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さて、新政酒造さんを左手に見ながら、羽州街道 大町筋を南下しますと、大町が終わり旭南二丁目に入ります。
旭南二丁目に入ってすぐ、左手に金神社(かながみやしろ)があります。
旭南二丁目のこの辺りは旧鍛冶町にあたるそうで、標柱にはこう書いてあります。
「旧鍛冶町
寛永六年(一六二九)に町割りされた鍛冶職人の町で、藩の御用品や農具、その他の金物を作り、藩の厚い保護を受けた。」
つまり、金神社は、鍛冶屋さんの神様なんですね。解りやすい!!
旧鍛冶町にも上鍛冶町と下鍛冶町があって、この辺りは上鍛冶町だそうです。
この標柱は昭和三年(一九二八)の奉納です。
こちらの手水鉢(ちょうずばち)は、文久三年(一八六三)に奉納、幕末ですねー
鍛冶屋さんが、大物鋳物製作の腕前を誇ったのか釣り鐘も奉納されております。
金毘羅大権現の参拝講の石碑ですね。
江戸時代には、講(こう)という集まりが盛んでした。(感恩講の講もそういう意味ですね)
こちらは今の香川県琴平町象頭山にある神社、金比羅大権現に皆でお金を出し合って、誰かに代表で参拝してもらうという講になります。
それが成就すると、記念に石碑を立てたということだそうです。誰か行ったんですね。
こちらは、太平山講(三吉講ともいう)の石碑です。
もちろん、これは秋田市の太平山三吉神社に参拝する講ですね。たぶん、広面の里宮だけでなく、太平山の前岳、中岳、奥岳とか参拝したんだとおもいます。だって、広面だったら行けますもん。昔は登山道とかちゃんと整備されてなかったから、太平山山頂に参拝するの大変だったんだと思いますよ。え?今も大変だって?
三吉神社って札幌とかにも大きい神社ありますけど、あれは秋田市の太平山三吉神社から分祀したものなんですって。昔、秋田から北海道に移住した人がいっぱい居たんでしょうね。
こちらは日吉八幡神社(ひえはちまんじんじゃ)の石碑ですね。日吉八幡はこの旅のスタート地点である八橋一里塚のすぐそばの神社です。八橋山王権現ともいいますね。山王の地名はそこから来たとか。当番町記念とあります。日吉八幡の秋祭りは大町界隈の各町持ち回りで開催するそうで(もちろん現在も)その記念だとおもわれます。
昭和十七年(1942)ですから、太平洋戦争真っ最中です。武運長久と書くわけです。上鍛冶町町内会の方たちのお名前が刻まれております。
こちらは。。。読めませんw
今回の金神社はこちらにあります。
さて、今回はこのへんで終わりにします。
次回も大町筋 旭南二丁目を南下します。
その8に続く(次は大町筋をぬけるか?)
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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!
昔の長崎屋、今のドン・キホーテの横にあったバッティングセンター、もし移転先をご存知なら教えてください。
また、フルスイングしに行きますので!!!!
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初稿:2021-5-15
追記:2021-5-25
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