秋田県南部羽州街道歩き旅 川原田一里塚〜石川一里塚編 その1

秋田県南部羽州街道
伊能忠敬e史料館 伊能大図:本荘、大曲 から川原田一里塚〜石川一里塚付近を抜粋

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前回の 御所野一里塚〜川原田一里塚編 その7(完) は、こちら

どうもー白くま父さんですー。最近、更新のペースをつかんできましたよー

前回、思いのほか7回も続きました御所野一里塚〜川原田一里塚編を終えまして、今回から川原田一里塚〜石川一里塚編を始めますよ。今回はおそらく3回くらいになると予想します。

まずは、今回の「御所野一里塚」から「川原田一里塚」までのコースです。

2021年現在の地形図では、以下の経路になります(経路は参考文献1、2、一里塚の場所は参考文献3を参考にしました)。

国土地理院 地形図 2021 を加工 赤線の経路が「川原田一里塚」から「石川一里塚」羽州街道

黄緑色の部分が、前回まで歩いた経路となります。今回の旅の経路となる羽州街道は以下となります。

川原田一里塚(河辺松渕行人塚) → 秋田自動車道と交差 → 田んぼの道をすすむ → 奥羽本線と交差 → 和田 → 国道13号線と合流 → 石川一里塚(河辺諸井大部)

 本当にこうなの?この経路が昔のメインストリートである羽州街道?いまの主要道路から大分ずれてるじゃないの?と疑うのは良いことなので、もうちょっと古い地形図も観てみましょう。

下記は、大正元年(1912年)に帝国陸軍が測量し、昭和13年(1938年)に修正した地形図です。

元の加工をしていない地形図を見たい方はこちらをご覧ください。

大日本帝国陸軍 参謀本部 陸地測量部 大正元年測図 昭和13年修正 5万分の1地形図「羽後和田」を加工
赤線の経路が「川原田一里塚」から「石川一里塚」

どうでしょう?だいぶ現代の主要道路が削ぎ落とされましたね。国道13号線は大正時代には無く、まさに今通っている羽州街道がメインストリートであったことがわかりますね。

さらにさらに、今回からは伊能忠敬の地図も見ていきましょう!!

加工していないものを見たい方は、伊能忠敬e史料館にある伊能忠敬の作成した「伊能大図:本荘、大曲」をごらんください。

伊能忠敬e史料館 伊能大図:本荘、大曲 から川原田一里塚〜石川一里塚付近を抜粋

どうでしょう。今回の経路は初めから伊能忠敬の測量結果とかなりいい感じであってますね。自信をもって羽州街道をたどれそうです!!伊能忠敬さん、ありがとうございます!!

伊能忠敬は昼測量し、夜宿場の庭で天体観測して測量結果の補正したそうで、200年くらい前にしてはかなり良い測量を実施しております。

天体観測、つまり北極星と現在地の水平面との角度が現在地の緯度となりますので、200年前でも北極星を観測すれば現在地の緯度がわかり、つまり南北方向の補正はできるわけです(この辺は、簡単な中学くらいの幾何学で導けますので、やってみてください)。

経度は、簡単に言うと地球が24時間で一周することを利用して測定することになるので、とても正確な時計が必要なのですが、伊能忠敬の時代の日本に正確な時計はありません。なので、どうしても経度つまり東西方向の補正ができませんので、伊能図はどうしても東西方向が現在の地図からはズレてしまうのですが、それでも局地的に見ればとても正確な地図ですよ。

一里塚~一里塚の4キロくらいの区間を利用する白くま父さんにとっては第一級の江戸時代の街道の資料です!!

ほかの場所ならこのくらいが限界なんですが、今回歩く箇所はなんと江戸時代の絵地図があります。みてみましょう!!加工してない元の絵図を見たい方はこちら

戸嶋和田村近辺村絵図 年不詳 秋田県公文書館デジタルアーカイブスより 一部を抜粋 赤線の経路が羽州街道

この絵図は描かれた年代は不詳ですが、現在の戸島・和田付近を描いた絵図で、川原田一里塚から石川一里塚付近を今回は抜粋してあります。デフォルメされている感じですが、出発地である「川原田一里塚」、目的地である「石川一里塚」の塚木が見事に道路の両脇にあるのが描かれているのが、とてもいいですね!!

それでは、今回の旅をはじめる前に、前回の御所野一里塚〜川原田一里塚編 その7(完)で、ちょっとニノ渡について追加調査をした結果、渡しの場所はどうやら現在の戸島大橋と中の橋の間に上陸したようですので、ちょっとみてみましょう。

2021-4-10 河辺戸島向川原

とくに渡し場の跡らしきものが残っているわけではないのですが、この辺りから上陸したようです。ちょっとなだらかになっていて川原に降りることが出来ます。

2021-4-10 河辺戸島向川原

そして、回れ右をしますと、正面右側に前回のゴール地点である川原田一里塚の現存の塚があります。

2021-4-10 河辺松渕行人塚 川原田一里塚

はい、前回のゴール地点であり今回の出発地点である川原田一里塚まで戻ってきました。現存する塚はこのお宅の右側の塚でしたね。それでは、旅の前にもう一つの道路工事で消えた対の一里塚はどの場所に有ったか、推定してみましょう。もちろん、恒例の公図をつかいますよ。

2021年7月8日に秋田市役所分館1階にある文書法制課窓口へ行き、公図を閲覧してきました。

羽後国河邉郡松渕字行人塚地引切繪圖 明治廿二年一月廿九日調査 秋田市役所蔵

1つ目が、現存する一里塚の場所が記載されている「羽後国河邉郡松渕字行人塚地引切繪圖」です。左上の緑の部分が「八十五番 官有地 一里塚」と記載されています。上が北です。行人塚という地名も一里塚に関係があるのでしょうかね?

羽後国河邉郡松渕字捨里水地引切繪圖 明治廿二年一月廿九日調査 秋田市役所蔵

2つ目が、失われてしまった側の一里塚の場所が記載されている「羽後国河邉郡松渕字捨里水地引切繪圖」です。右下が北になります。上の左側の部分に「壹番 官有地」とあり、これが道路工事で消えた一里塚と思われます。

羽後国河邉郡松渕字行人塚地引切繪圖(下側)、羽後国河邉郡松渕字捨里水地引切繪圖(上側)

これら2つの公図を並べて一つの写真に写して、縮尺が同じになるようにしました。そして、画像加工ソフトINKSCAPEで余計な部分をチョキチョキと切り落とし、2つの公図をパズルのようにあわせてみました。そうすると、みごとに羽州街道をはさんで、一里塚が向かい合いました。

羽後国河邉郡松渕字行人塚地引切繪圖(下側)、羽後国河邉郡松渕字捨里水地引切繪圖(上側)をグーグルマップの航空写真に重ね合わせ

そして縮尺を調整して、グーグルマップの航空写真に重ね合わせてみました。だいたい位置は有っているかと思います。どうやら、道路工事で消えた一里塚は、十字路のやや南側くらいにあったような感じですね。

2021-4-10 河辺松渕行人塚

この横断歩道のあたりに有ったのかも知れませんね。

2021-4-10 河辺松渕行人塚

さて、それでは失われた一里塚の場所も推定できましたし、旅を始めましょう。

まずは羽州街道を東進しますよ。正面方向です!!

2021-4-10 河辺松渕行人塚

ちょっと進むと、右から中の橋を渡った道が合流してきます。戸島大橋ができる前はこちらがメインの道であったようです。

2021-4-10 河辺松渕行人塚 川原田下丁バス停

川原田下丁バス停前を通過します。

2021-4-10 河辺松渕行人塚 川原田橋

川原田橋を渡るあたりで北に進路を変えます。

2021-4-10 河辺松渕行人塚 川原田橋

ちょうど橋の上あたりですね。

2021-4-10 河辺松渕行人塚 川原田上丁バス停

川原田上丁バス停を通過します。

2021-4-10 河辺松渕街道北下段

どんどん北上をつづけます。

2021-4-10 河辺松渕街道北下段

すると、右側に見事なクラッシックカーが現れます。

2021-4-10 河辺松渕街道北下段

街道のシンボルですね。カッコいいのでレストアしてほしいです!!

2021-4-10 河辺松渕街道北下段

さらに北上を続けます。

2021-4-10 河辺松渕街道北下段

県道62号線と合流し、そのまま秋田自動車道の下をくぐります。

2021-4-10 河辺北野田高屋

秋田自動車道の下をくぐった後、そのまま県道62号線を進むのではなく、左折し田んぼの中の道を北西に進みます。

2021-4-10 河辺北野田高屋

こんな風に田んぼの中に羽州街道が残っています。右に県道62号線があります。

のどかですねー。羽州街道は昔は田んぼの中を進んでいたんですねー

2021-4-10 河辺北野田高屋

田んぼの中の羽州街道を進むとやがて、左に曲がってきた県道62号線の坂にぶつかります。

羽州街道はここで分断されますので、ワープが必要です。

白くま父さん
白くま父さん

恒例のワープです!!

佐竹の殿様
佐竹の殿様

チョットの間だけどね。

国土地理院 地形図 2021 を加工 緑の経路が進んできた羽州街道

赤の破線のように進みたいのですが、進めませんので青の経路のようにワープします。

ーーーワープここから

2021-4-10 河辺北野田高屋

羽州街道をちょっと戻り、県道62号線に向かいます。

2021-4-10 河辺北野田高屋

県道62号線に出たらすぐ左折し、北西に向かいます。向こうのU字の方に行くと他の方に行ってしまいますのでお間違いなきよう。

2021-4-10 河辺松渕高田

県道62号線をちょっとすすみますと、右側に側道がありますので、側道にすすみます。

2021-4-10 河辺松渕高田

側道を進みますと、鋭角に道が曲がりますので、ここでワープ終了です。羽州街道に合流します。

ーーーワープここまで

2021-4-10 河辺松渕高田

ワープが終わったと思ってホッとしたつかの間、羽州街道はすぐに今度は奥羽本線に分断されます。

2021-4-10 河辺松渕高田 奥羽本線を地下道で横断

でも、ご安心を。奥羽本線を横断する地下道があります。

2021-4-10 河辺松渕高田

地下道をくぐると和田の町に入ります。

和田の町に入ったところで、今回はここまでとします。次回は和田の町を探索です。

その2に続きます。

前回の 御所野一里塚〜川原田一里塚編 その7(完) は、こちら

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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!

白くま父さんの消えた一里塚の推定場所はあってますかね?

もっと詳しい方、情報がありましたら教えてくださいね。

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参考文献1:秋田県教育委員会「歴史の道調査報告VIII 南部羽州街道」1986

参考文献2:藤原優太郎「羽州街道をゆく」無明舎出版 2002

参考文献3:佐藤晃之輔「秋田・羽州街道の一里塚」秋田文化出版 2013

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2021-11-20:初稿

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