秋田県南部羽州街道歩き旅 石川一里塚〜船沢一里塚編 その1

秋田県南部羽州街道
伊能忠敬e史料館 伊能大図:本荘、大曲 から石川一里塚〜船沢一里塚付近を抜粋

まとめページはこちら

前回の 川原田一里塚〜石川一里塚編 その3(完) は、こちら

どうもー、白くま父さんです。

前回、 川原田一里塚〜石川一里塚編を終えまして、今回から石川一里塚〜船沢一里塚編を始めます!!

まずは、今回の「石川一里塚」から「船沢一里塚」までのコースです。

2021年現在の地形図では、以下の経路になります。経路は参考文献1、2および伊能忠敬さんの測量図を参考にしました。一里塚の場所は参考文献3を参考にしました。

国土地理院 地形図 2021 を加工 赤線の経路が「石川一里塚」から「船沢一里塚」羽州街道

黄緑色の部分が、前回まで歩いた経路となります。今回の旅の経路となる羽州街道は以下となります。

石川一里塚(秋田市河辺諸井大部) → 和田坂本交差点付近でちょっと国道13号線から離れる → 河辺ドライブイン(通称河ドラ)駐車場付近で国道13号線と合流 → 和田大橋を渡る → 国道13号線から離れ、宮崎へ → 国道13号線と合流 → 国道13号線から離れ、坂ノ下へ → 国道13号線と交差 → 大田面 → 国道13号線と合流 → 船沢一里塚(大仙市協和船沢)

本当にこうなの?この経路が昔のメインストリートである羽州街道?いまの主要道路からチョットずれてるじゃないの?と疑うのは良いことなので、もうちょっと古い地形図も観てみましょう。

下記は、大正元年(1912年)に帝国陸軍が測量し、昭和13年(1938年)に修正した地形図です。

元の加工をしていない地形図を見たい方はこちらこちらをご覧ください。

大日本帝国陸軍 参謀本部 陸地測量部 大正元年測図 昭和13年修正 5万分の1地形図「羽後和田」「刈和野」を加工
赤線の経路が「石川一里塚」から「船沢一里塚」

どうでしょう?だいぶ現代の主要道路が削ぎ落とされましたね。まさに今通っている羽州街道がメインストリートであったことがわかりますね。

さらにさらに、江戸時代末期に測量し作成された伊能忠敬の地図も見ていきましょう!!

加工していないものを見たい方は、伊能忠敬e史料館にある伊能忠敬の作成した「伊能大図:本荘、大曲」をごらんください。

伊能忠敬e史料館 伊能大図:本荘、大曲 から石川一里塚〜船沢一里塚付近を抜粋

どうでしょう。今回の経路も初めから伊能忠敬の測量結果とかなりいい感じであっていると思います。

実は参考文献1、2に記載されているものは宮崎と坂ノ下に行く経路では無かったのですが、一度探索をした後、伊能忠敬の地図をみて違うと気づいて、宮崎と坂ノ下の探索をやり直しておりますw

白くま父さん
白くま父さん

だって、探索のだいぶ後に伊能忠敬さんの地図を見つけたんですもの。

必ずしも参考文献が正しいわけではないのです。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

雪が降るまえに再探索できてよかったね!!

それでは、今回の旅を始める前に、スタート地点の石川一里塚の場所を示しておきましょう。

2021年8月31日に秋田市役所分館1階にある文書法制課窓口へ行き、公図を閲覧してきました。

羽後國河邉郡諸井村字大部地引切繪圖 秋田市役所蔵

羽後國河邉郡諸井村字大部地引切繪圖です。明治時代の地租改正時に作成された図面です。

ほぼ上方が北となります。そして、羽州街道および一里塚は左下に記載されておりました。

拡大してみましょう。

羽後國河邉郡諸井村字大部地引切繪圖 秋田市役所蔵

こちらが拡大結果で、赤い太い線が羽州街道です。

まず23番が畑となっているのですが実は紙が糊付けされていまして、紙の下の文字がうっすらと見え、官有地 壱里塚と書いてありました。

そして、羽州街道を挟んで向かいの22番も畑となっており、こちらも紙が糊付けされているのですが、半分誰かがちぎったのか破れたのかわかりませんが、官有□ 壱里□と下に書いてありました。

めずらしく、一つの図面に向かい合った一対の一里塚の場所が書いてありましたね。

どうやら、明治になってから石川一里塚は畑として払い下げされてしまったようです。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

なんで畑にするんだ!!

一里塚の整備、維持するのにどれだけ苦労したと思ってるんだ(怒)

白くま父さん
白くま父さん

あーあ、怒っちゃった。。。

慶長9(1604)年2月4日 江戸幕府は江戸日本橋を基点として全国の各街道の一里(約4Km:約3.927Km)毎に一里塚を設置するように指令を天領・旗本領はその代官、大名領はその領主に出しました。

指令を受けた代官・大名は、街道の両脇に5間(約9 m)四方、高さ1丈(約1.7 m)に土を盛り上げて一里塚をつくり、塚の上には榎など(羽州街道では皀莢:サイカチが多い)の木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていました。

全国の一里塚の設置は指令から約10年ほどの急ピッチで進められ完了したと言われます。

もちろん秋田領でも慶長9(1604)年に佐竹義宣公が一門や譜代の重臣を道作り奉行に命じ、羽州街道(当時は羽州街道とはいわなかったそうですが)の整備をするともに一里塚も設置しました。

街道や橋、一里塚の整備には街道近辺の村民の多くが動員され、また維持保全には街道近辺の村は当然として、かなり離れた村にも負わせたそうです。

このように街道とともに整備・維持されてきた一里塚ですが、明治維新により受難にあいます。

明治6(1873)年12月20日 明治政府は「太政官達第四百十三号」により、東京の日本橋、京都の三条橋の中央を国内諸街道の起点とし、各府県は府県庁所在地に管内諸街道の起点とし、その起点に「里程元標」を設置しました。秋田県南部羽州街道歩き旅 八橋一里塚〜牛島一里塚編 その6 で紹介しました赤れんが郷土館の前にあったこれですよ。

2021-3-20 赤れんが郷土館 秋田県里程元標跡

この里程元標には主要地点までの距離が記されていたそうです。

これにともない、一里塚はその役割を里程元標に譲ることになります。

そして、明治9(1876)年10月10日 内務省はいわゆる一里塚の破壊令(内務省達乙第百二十號)を公布します。

「内務省達乙第百二十號

 明治九年十月十日

 府縣

 各街道一里塚ノ儀里程測定標杭建設既濟ノ地方ニ限リ古墳

 舊跡ノ類ヲ其儘一里塚ニ相用或ハ大樹生立往還並木二連接

 シ又ハ目標等ニ相成自然道路ノ便利ヲナスモノ等ヲ除之外

 耕地ヲ翳陰スルカ如キ有害無益ノ塚丘ハ總テ廢毀シ最寄人

 民へ入札ヲ以テ拂下候積相心得近傍形況及反別等明瞭ノ圖

 面相副可伺出此旨相達候事」

白くま父さん
白くま父さん

各街道の一里塚について、

里程元標を既に設置している地方では、

古墳旧跡等を一里塚にしているものや、

一里塚の塚木が街道の並木に連なっているもの、

または目印になっていて便利なもの等を除いて、

畑や田んぼ等の耕作地を日陰にして作物の成長を妨げるような

大きな塚木の生えた有害無益な一里塚は

全部壊して近隣の住民に売り払ってしまえ!!

。。。と布告してます。。。ガクガクブルブル

佐竹の殿様
佐竹の殿様

ぐぬぬぬ!!

秋田に転封されてから幕府の命令で一生懸命に整備した街道・一里塚だぞ。

街道は他国の大名や幕府の巡検使も通るから、いわば秋田の顔だったんだぞ!!

どれだけ気を使って綺麗に整備・維持したと思ってるのだ!!

白くま父さん
白くま父さん

近代化を急ぐ明治政府には、

一里塚を江戸時代265年間の歴史のある旧跡とは、

思えなかったのでしょうね。。。。さみしいものです。

このブログでは、佐竹のお殿様達が江戸時代を通じて維持されてきた羽州街道をできるだけ痕跡をたどって紹介することで、お殿様たちの気を静めていただきましょう!!

佐竹の殿様
佐竹の殿様

頼むよ、本当に!!

さて、それでは石川一里塚の位置をグールルマップの航空写真上に示しておきましょう。

石川一里塚(Googlemapの航空写真へ図示)

ラーメンショップ河辺さんがあるおかげで解りやすいですね。これから、国道13号線の拡幅でこのあたりも変わる可能性がありますので、工事中もたまに見に行きたいと思います。たぶん北側の一里塚の場所は、これから拡幅する道路の下になると思いますよ。

それでは、今回の旅を始めましょう。

2021年4月17日に旅をしていますが、同年12月11日に再び旅をしてますので、写真は混在しています。

伊能忠敬さんの地図を見てしまったがために旅をやり直さなければならなかったんですよ。

白くま父さん
白くま父さん

嬉しい悲鳴ですー

佐竹の殿様
佐竹の殿様

お前の好きにやればいいw

2021-12-11 河辺諸井大部 石川一里塚付近

ここが、今回の旅のスタート地点である石川一里塚跡付近ですね。かつて国道13号線を挟んで両脇に一里塚が有ったはずなんですよ〜。

2021-4-17 河辺和田坂本 コメリ、ファミリーマート付近

羽州街道、国道13号線を東に進んでいきます。右手にファミリーマート、コメリが見えてきますので、旅に必要なものがある場合は買っておきましょう。飲み物、非常食、お弁当なんかがあるといいでしょう。

2021-4-17 河辺和田坂本 旧太陽鉱油付近

さらに街道を東に進んでいきますと、白くま父さん愛用のガソリンスタンド「太陽鉱油」が見えてきます。

でも、このガソリンスタンドは道路の拡幅工事のため2021-11-30に移転してしまっております。

移転先はここです。

仁井田一里塚〜御所野一里塚編 その2で通過した横山金足線と羽州街道の交差する付近ですね。

セルフガソリンスタンドで周辺のガソリンスタンドよりもかなり安いのでおすすめです。

白くま父さんはクレジットカードを作って会員なのだw

ただ超人気店のため土日の日中はかなり混みますので、平日や夜間・早朝の利用をおすすめします。

2021-12-11 河辺和田坂本 旧太陽鉱油付近

さて、国土地理院の地図で昔の航空写真と重ね合わせてみますとよくわかりますが、この旧太陽鉱油あたりから羽州街道はちょっと分断されています。

なので恒例のワープをします。

国土地理院 地形図 2021 を加工

赤い破線のように進みたいのですが進めませんので、黃緑色つまり国道13号線をそのまま進むことによりワープしますw

田んぼのあぜ道として羽州街道がちょっと残ってますので、見学しつつワープしましょう。

ーーーワープここから

2021-12-11 河辺和田坂本交差点

旧太陽鉱油横にある和田坂本交差点。この正面のお宅の左側にある田んぼのあぜ道が羽州街道の痕跡のようですので、行ってみましょう。

2021-12-11 河辺和田坂本

はい、なんてこと無い田んぼのあぜ道です。羽州街道の雰囲気はありませんねー

2021-12-11 河辺和田坂本

そして、この金網フェンスのあたりから、河辺ドライブインの敷地の裏手を抜けて羽州街道がすすんでいたようです。

和田坂本交差点に戻りまーす。犬が家の中から盛んに吠えております。不審者じゃありませんよー旅人でーす。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

はやく逃げろよw

白くま父さん
白くま父さん

逃げたら、それこそ不審者と間違われますよw

2021-4-17 河辺和田坂本交差点
2021-4-17 河辺和田坂本交差点

はい、和田坂本交差点に戻ってきました。

2021-12-11 河辺和田坂本交差点

和田坂本交差点から微妙なカーブを描く国道13号線を進みます。

2021-4-17 河辺和田坂本 河辺ドライブイン

そうしますと、河辺名物の河辺ドライブイン 通称「河ドラ」が左手にあります。

横手・大曲方面から国道13号線を進んできて、この河ドラと隣にあるコカ・コーラの工場を見ると、あー秋田市に帰ってきたと毎回しみじみ思いますよ!!目印ですな。

河ドラさんのホームページはこちら

こちらのお店は。。。。悪いことはいいません、大盛りは頼んではいけません。普通盛りで十分「大盛り」なのです。食べざかりの中高生や向こう見ずな大学生は、レッツチャレンジ大盛り!!お腹がはちきれても知りませんぞ。話のネタになるから若者は良いかも知れませんよ。

人気店のためいつも駐車場に車が停まっていますよ。写真に車が写って無いのは、営業外の早朝6時くらいだからです。

最近、商売を広げて追分と協和に支店を出したようですな。昭和の味を楽しめる河ドラさん、商売繁盛でよろしいですな。

2021-12-11 河辺和田坂本 河辺ドライブイン

そして、羽州街道はこの河ドラさんの背後からこの駐車場とフェンス沿いに進んできます。

2021-12-11 河辺和田坂本 河辺ドライブイン みちのくコカ・コーラボトリング(株)

そして、河ドラさんのお隣りにある みちのくコカ・コーラボトリング株式会社さんの入口付近で、羽州街道は国道13号線に合流するようです。

2021-4-17 河辺和田坂本 河辺ドライブイン みちのくコカ・コーラボトリング(株)

ドンと大きな岩が河ドラとコカ・コーラの間に意味有りげにあるんですよ。この岩ってなんかいわれがあるんですかね?ご存知の方、おしえてくださーい。ダジャレじゃないよw

ーーーワープここまで

2021-4-17 河辺和田坂本

ワープが終わって、コカ・コーラさんの入口の向かい側には、古物商秋田リサイクルさんがあります。

ずっと気になってますが、行ったことは無いんですねー

2021-4-17 河辺和田坂本 みちのくコカ・コーラボトリング(株)

コカ・コーラボトリングさんの敷地には、大量の瓶?が積まれているようですね。

あー、昔からこの工場はよく見ていますので、見学してみたいですねー

工場見学とかさせてくれないですかね!!よろしくおねがいします!!

2021-4-17 河辺和田坂本

コカ・コーラさんの向かい側にこのような看板がありました。

うおーここから福島まで288Kmもあるんだ。。。遠いなあ。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

参勤交代の目的地である江戸はもっと遠いわ!!

白くま父さん
白くま父さん

そうでしたw

2021-12-11 河辺和田坂本

コカ・コーラさんに別れを告げて、国道13線を進みますと、ここで羽州街道は国道と別れ、左折します。

というか、多分このガードレール?の外側の微妙に平坦な土地は羽州街道の痕跡ですな。

2021-4-11 河辺和田坂本

この国道の左側の道を下っていきます。

2021-4-17 河辺和田坂本

羽州街道をすすんで行きますと、右側に国道の下をくぐるトンネルがあります。

2021-4-17 河辺和田坂本

これですね。寄り道でちょっとこのトンネルをくぐって進みますと、

2021-4-17 河辺和田坂本

向こう側に立派なレンガで土台が造られた鉄道の陸橋があります。

2021-4-17 河辺和田坂本

土台は年季が入ってるけど、上のH形鋼は結構新しいぞ。1995年。年から想像するに多分秋田新幹線こまちを開通させるときに設置したとおもわれますね。

2021-4-17 河辺和田坂本

さて、羽州街道にもどり進みます。右手上方に通っているのはもちろん国道13号線です。

2021-4-17 河辺和田坂本

お釜の中に苔が生えてますよ!!ちなみに12月の再訪時にもこのお釜は健在でしたw

2021-12-11 河辺和田坂本

やがて、羽州街道は土手をのぼる坂に向かいます。

2021-4-17 河辺和田坂本 和田大橋

坂を登ると和田大橋にたどり着きます。

2021-12-11 河辺和田坂本 和田大橋

この和田大橋は、岩見川を渡っております。

そう、ここは我々にとって3回目の岩見川の渡し場、昔の「坂本の渡し場、一の渡」に当たります。

それでは、坂本の渡し場にたどり着いたところで今回は終わりにします。

つぎは、3度目の岩見川の渡りから始めますよ。

その2につづきます!!

前回の  川原田一里塚〜石川一里塚編 その3(完) は、こちら

まとめページはこちら

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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!

コカ・コーラさんと河ドラさんの間にある岩のいわれをご存知の方は教えてください。

単なる庭石?

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参考文献1:秋田県教育委員会「歴史の道調査報告VIII 南部羽州街道」1986

参考文献2:藤原優太郎「羽州街道をゆく」無明舎出版 2002

参考文献3:佐藤晃之輔「秋田・羽州街道の一里塚」秋田文化出版 2013

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初稿:2021-12-26

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