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どうもー、白くま父さんです。
御所野一里塚〜川原田一里塚編に入って、今回で第6回目になります。
御所野一里塚跡から川原田一里塚までの経路は以下のとおりです。
前回までで、昔「三ノ渡」とよばれた岩見川の渡し場跡?まで歩きましたので、そこからスタートです。
こちらは、その1でも出てきました延宝六年(1678年)の川辺郡野田高屋村絵図です。(加工していない絵図を見たい方はこちら)
三ノ渡付近を拡大してみましょう。
三ノ渡の付近を拡大してみますと、江戸時代には豊成橋は架かっておらず、川の両端に綱を渡している様子が描かれております。
こちらのサイトに昔、橋の無い川をどうやって渡ったかを解説したページがありましたので、参考にしますと、おそらく「繰り綱渡し」「繰り越し舟」といった川の両端に渡した綱を利用して舟で渡る方式で、この三ノ渡も渡っていたのだと考えられます。
橋をかけなかった理由はおそらく軍事的なもので、敵が攻めてきた時に容易に川を渡らせないように、ワザとかけなかったのだと思います。戦争が始まったら、綱を切れば良いのですから。実際、戊辰戦争の際は、三ノ渡はわかりませんが、県内の渡し場の綱を切って防衛した話を聞いたことがありますよ。
ちなみに何故ここを「三ノ渡」というかというと、
これから羽州街道は3回も岩見川を渡るからだ!!
ここは、江戸方面から数えて3回目なので「三ノ渡」だ。
しかも、その3回とも全部橋はなく、渡し場ですからね。
どんだけ防衛に気を使っているかって事が解りますね。
さて、それでは前回のゴール地点である、豊成側の「三の渡」跡?からスタートです。
といっても、渡しはありませんからね。
恒例のワープをします。
まあ、そうなるわなw
赤の破線のように岩見川を渡りたいのですが、現代は渡しがありませんので、黃緑色のようにすすみます。途中の①②③のポイントで破線の道がどんな状態か見てみましょう。
ーーーワープここから
それでは、岩見川を豊成小橋を渡りますね。もう一つの橋、豊成橋を渡ってもいいですが、車用で歩道はないので、歩き旅であればこの豊成小橋を渡ったほうがいいかもしれません。
豊成小橋の①地点から川下、つまり渡し場方面を見ています。
国土地理院の地図では渡し場と思われるところから、道が伸びているのですが、草に埋もれて見えませんね。
今度は、同じ①地点から川上、豊成橋方面をみておりますが、やはり道は草に埋もれております。
豊成小橋を渡って②地点へちょっと寄り道です。
岩見川方向を見ており、田んぼの向こうに柱が立っていますが、あのあたりが渡し場?とと思われますが、人様の田んぼに入るわけにはいきませんので、ここで我慢します。
ちなみに、ここの地名は 河辺豊成大川越 です。いかにも渡し場っぽい地名です!!
②地点で、川上、豊成小橋方面をみています。
あのセイタカアワダチソウの中に渡し場からの道が埋もれていると思いますが、わかりませんねぇ。
それでは、戻りましょう。ここは、豊成小橋の渡った側ですよ。
そして、さらにちょっと川上に向かって歩くと豊成橋にきます。
左から右に交差する道は、その2でたどった道の延長上にある道ですね。参考文献1、2もここを右に進んでいくのですが、伊能忠敬の地図をゲットしている白くま父さんは、真っすぐ進みます!!
右に行く道は明治の道、白くま父さんの行きたい道は江戸の道、羽州街道ですもの!!
その前に、ちょっと豊成橋に寄り道しましょう。もちろん川岸にうもれた道を見るためです。
豊成橋の③地点から川上方面、つまりワープのゴール地点を方面を見ています。
草むらの中から、土手を登る道がでてきましたね。たぶんこれが、渡し場に向かう道ですね。
それでは、ワープのゴール地点に行きましょう。
ーーーーワープはここまで
はい、ワープのゴール地点に到着です。お疲れ様です。
土手を下る道を見ております。いかにもな道ですが、途中で草に埋もれて渡し場跡?にはたどり着けないのは、見てきたとおりです。2022年の春にでも再訪してみますかね。雪で草が倒されて道が現れる可能性がありますからね。雪解けで増水する前を狙わないと!!
それでは、南側にのびる羽州街道をすすみましょうか。
道の曲がり具合といい、昔からの道を実感しますね。庭木もいい感じです。
すぐに民家の連なりはなくなり、田んぼに出ます。最近用水路の整備をしたのか、きれいですね。
そして、ホクエツ工業さんの前付近で、参考文献1、2の道と合流です。
ホクエツ工業さんの前には畑谷入口バス停があります。でも実際の畑谷は100mくらい離れてますけどね。。。。。まだ死にたくないな
それでは、どんどん進みましょう。向こうに見えるは「あきたびライン」です。もう何回も交差している気がしますが、その2からその4の交差はノーカウントですから、羽州街道はなんとここの一回しか「あきたびライン」交差しませんw 意外ですねー
「あきたびライン」をくぐりぬけて進みます。
近づいてきましたよ、戸島の町が。
この先の交差点を、右に行くと日本海東北自動車道のIC、真っすぐ進むと大仙と書いてありますが、国道13号線か国際教養大学、秋田空港へつながる県道61号線へつながります。
というか、この歩いている道も県道61号線、あきたびラインも県道61号線 秋田御所野雄和線なんですけどね。そして、左に向かうと戸島です。
はい、こちらの交差点です。左にそのまま曲がるのではなく、真っすぐ横断してから曲がることにします。なぜなら!!
この横断した先に、分断された羽州街道があるからです。といってもちょっとですけどね。
こちらの「カーフレンズYUZU」さんの横の道は、じつは羽州街道です。
この交差点を作るときに分断されたようです。
ということで、ワープです。とっても小さいワープをしますw
赤の破線のように進みたいのですが、黃緑色のようにすすみます。
戸島側に歩みを進めますと、すぐに右側から羽州街道が合流してきます。
ね、ほんのちょっとでしょ? あっという間にワープは終わりですが、ほんのチョットでも羽州街道を見つけていきますよーw
頑丈な標識が迎えてくれます。
「この道路は子どもの通学路です。安全確保のため、大型車の迂回にご協力ください」
大型車の方々、ご協力お願いいたします!!
はい、戸島の町の入り口についたようで、庚申塚ではありませんがお地蔵さんが迎えてくださいます。
そして、左側の小屋の中には、
馬頭観音が祭られておりました。戸島には馬頭観音講があるようで明治三十五年の幕が掲げてありました。大事にされておりますね。
それでは、戸島の町にたどり着いたところで今回は終わりにします。
次は戸島の町を探索しますよ。おそらく、ゴールの川原田一里塚に到着すると思いますよ。
ほんとかなあ?
その7につづきます。
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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!
前回のその5をご覧になって、豊成のヤブに挑戦なさった方からTwitterにコメントが届きました。
うれしかったですw
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参考文献1:秋田県教育委員会「歴史の道調査報告VIII 南部羽州街道」1986
参考文献2:藤原優太郎「羽州街道をゆく」無明舎出版 2002
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初稿:2021-11-07
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