秋田県南部羽州街道歩き旅 御所野一里塚〜川原田一里塚編 その1

秋田県南部羽州街道
川辺郡野田高屋村絵図 延宝六年(1678年) 秋田県公文書館デジタルアーカイブスより

まとめページはこちら

前回の 仁井田一里塚〜御所野一里塚編 その3(完) は、こちら

どうもー白くま父さんですー。

前回、仁井田一里塚〜御所野一里塚編を終えまして、今回から御所野一里塚〜川原田一里塚編を始めますよ。

まずは、今回の「御所野一里塚」から「川原田一里塚」までのコースです。

2021年現在の地形図では、以下の経路になります(経路は参考文献1、2、一里塚の場所は参考文献3を参考にしました)。

国土地理院 地形図 2021 を加工 赤線の経路が「御所野一里塚」から「川原田一里塚」羽州街道

 黄緑色の部分が、前回まで歩いた経路となります。今回の旅の経路となる羽州街道は以下となります。

 御所野一里塚(高清水 御所野工場前) → 東北電力 御所野変電所前 → あきたびラインと交差 → 御所野坂を下る → あきたびラインと交差 → 豊成 → 岩見川を渡る(豊成橋 三ノ渡) → あきたびラインと交差 → 戸島 → 岩見川を渡る(戸島大橋 ニノ渡) → 川原田一里塚(河辺松渕)

 本当にこうなの?この経路が昔のメインストリートである羽州街道?いまの主要道路から大分ずれてるじゃないの?と疑うのは良いことなので、もうちょっと古い地形図も観てみましょう。

下記は、大正元年(1912年)に帝国陸軍が測量し、昭和13年(1938年)に修正した地形図です。

元の加工をしていない地形図を見たい方はこちらをご覧ください。

大日本帝国陸軍 参謀本部 陸地測量部 大正元年測図 昭和13年修正 5万分の1地形図「羽後和田」を加工
赤線の経路が「御所野一里塚」から「川原田一里塚」

どうです。だいぶ現代の主要道路が削ぎ落とされましたね。当然、飛行場に向かう「あきたびライン」(県道61号秋田御所野雄和線)は、ありませんでしたよ。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

その「あきあびライン」を作ったせいで、

街道が分断されてしまったようだね。

白くま父さん
白くま父さん

でも、また国土地理院のHPで現在の地図と昔の航空写真重ねて見ることが出来たので、どこで分断されたのかも簡単に解りましたよw

リンク先では、1960年代の航空写真と現在の地図を重ねています。

興味のある方は見てみてくださいな。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

地図好きには、たまらなく面白いなw

ほかの場所ならこのくらいが限界なんですが、今回歩く箇所はなんと江戸時代の絵地図があります。しかも2つも!!折角なんで、みてみましょう!!

まず1つめ。加工していない元の絵図を見たい方はこちら

川辺郡野田高屋村絵図 延宝六年(1678年) 秋田県公文書館デジタルアーカイブスより 赤線の経路が羽州街道

この絵図は、延宝六年(1678年)に描かれたものだそうで河辺郡野田高屋村、現在の秋田市川辺戸島のものです。江戸時代の戸島の様子がわかりますね。岩見川に橋は架かっておりませんよ。「御所野一里塚」「川原田一里塚」は描かれていませんが、今回の経路の大半が描かれており、現代および戦前の地図とくらべても羽州街道がそのまま残っていることが解ります。

2つめはこちら。加工してない元の絵図を見たい方はこちら

戸嶋和田村近辺村絵図 年不詳 秋田県公文書館デジタルアーカイブスより 一部を抜粋 赤線の経路が羽州街道

この絵図は描かれた年代は不詳ですが、現在の戸島・和田付近を描いた絵図で、戸島付近を今回は抜粋してあります。1つめのものよりはデフォルメされている感じですが、目的地である「川原田一里塚」の塚木が見事に道路の両脇にあるのが描かれているのが、とてもいいですね!!

それじゃあ、今回の旅を始めますか。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

高清水 御所野工場の前のあのカバーのかかってたやつは、

どうなったのよ?

白くま父さん
白くま父さん

はいはい、あれですね。

もちろん、確認しますよw

2021-3-28 御所野湯本 秋田酒類製造株式会社 御所野工場

前回、2021年3月28日にはカバーが掛かっておりました、この高清水さんのこれ。実はこの旅をした4月3日でも、まだカバーが掛かっておりました。カバーが取れるのは、4月10日を待たねばなりませんでした。

はい、それでは4月10日の写真はこちらです!!

2021-4-10 御所野一里塚跡(御所野湯本 秋田酒類製造株式会社 御所野工場)

じゃじゃーん♪ということで、やはり御所野一里塚跡を示す標柱とその案内板でした。すばらしい!!

2021-4-10 御所野一里塚跡(御所野湯本 秋田酒類製造株式会社 御所野工場)

標柱にはこのように書かれておりました。

「御所野一里塚 羽州街道

元和元年(一六一五)領中大小道程に御所野土岡◯塚とある。豊成川広さ二四間、但し舟渡し水上三内川、川向より御所野塚一五丁とある。」

「領中大小道程」というのは、領内つまり秋田県内にある一里塚及び道程をまとめたもので、天和1年(1681)に書かれたものです。秋田県公文書館に原本があり、閲覧できます。

白くま父さんも閲覧したことあります。羽州街道以外の一里塚も記載されていますが、崩し字で書いてあるのでちっとも読めませんw

秋田県立図書館に半田市太郎秋田大学名誉教授が書かれました「元和元年領中大小道程(経済学部紀要 5 別刷(1986年) 」があります。こちらに原本の内容が現代文でもちろん活字で記載されてますから、楽に読めますのでおすすめです。貸出は出来ませんがコピーはできますよ。

領中大小道程も参考に、今後いずれ羽州街道以外も一里塚を見つけていこうとおもっておりますw 

佐竹の殿様
佐竹の殿様

大風呂敷を広げやがってw

2021-4-10 御所野一里塚跡(御所野湯本 秋田酒類製造株式会社 御所野工場)

そして、案内板には以下のように記載されておりました。

「御所野羽州街道

 慶長八年(1603)に徳川家康が江戸に幕府を開いた後、国内の交通網はすべて江戸が中心となる。

 羽州街道は東北の中でも奥州街道と並ぶ二大街道でした。この街道は桑折宿(福島県桑折町)から七ヶ宿(宮城県)を通り上山藩、山形藩、新庄藩などの各領内を経由、藩境院内峠(雄勝峠)から秋田藩領に入り領内を縦断し、津軽藩との国境矢立峠を越え油川まで全道中五八宿数える街道である。

 佐竹義宣は慶長九年(1604)一門や譜代の重臣を道作奉行に命じ領内の街道整備にあたる。

 御所野一里塚の築造が天和元年(1615)の記録があることから、御所野地域を通る羽州街道もこのころ整備されたものと考える。

 平成27年10月4日 御所野の歴史文化を語る会」

 御所野の歴史文化を語る会は参考文献4を作成しており、秋田県立図書館で閲覧できます。この中に参考文献3の調査から御所野一里塚の場所が明らかになったため、この標柱と案内板を設置した事が書かれておりました。すばらしいです。 

白くま父さん
白くま父さん

他の羽州街道の一里塚跡も標柱が立っていくと良いなあ

佐竹の殿様
佐竹の殿様

標柱は菅江真澄だけでなく、一里塚もよろしくおねがいしますぞ。

歴史的な意味の他に散歩の目印にも調度良いと思うぞw

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さて、それでは今回の旅を進めましょう。

2021-3-28 御所野湯本 秋田酒類製造株式会社 御所野工場

前回たどり着きました 清酒 高清水 醸造元 秋田酒類製造株式会社 御所野工場さまの敷地にございます御所野一里塚跡からスタートします。

2021-8-29 御所野湯本

羽州街道をほぼ南進し、御所野坂へ向かいます。

実は8月29日に再訪し、写真を撮り忘れたところを撮っておりますw

2021-4-3 御所野湯本 あきたびラインへの接続交差点

そして、この秋田空港へ向かう「あきたびライン」が始まる交差点へたどり着きます。

この「あきたびライン」は2011年に全線開通となったのですが、工事の際この辺りを大分削りまくりましたので、羽州街道は分断されております。でも、できるだけたどっていきますぞ!!

はい、ここで恒例のワープです。

交差線から赤い破線のように羽州街道は進んでいたはずですが分断されておりますので、黄緑線のようにワープする必要があります。

白くま父さん
白くま父さん

ワープ!!

佐竹の殿様
佐竹の殿様

バカメと言ってやれw

白くま父さん
白くま父さん

え?なんで宇宙戦艦ヤマトのセリフ知ってるの?w

ーーーワープここから

2021-4-3 御所野湯本 あきたびラインへの接続交差点

と、いうことで我々はワープ空間に居ますw というのは冗談であきたびラインの交差点を右折し、すぐに左折します。

2021-4-3 豊成 東北電力御所野変電所付近

そして、このS字カーブをすすんで行くと短いワープが終わります。

ーーーワープここまで

2021-4-3 豊成 東北電力御所野変電所付近

はい、ということでこのような並木道に出ます。参考文献2によると、御所野には藩政時代からの松並木がかろうじて残っているとのことでしたので、この場所の事かと思いました。

2021-4-3 豊成 東北電力御所野変電所付近 並木の桜

でも、この木、幹を見ると桜の木なんですよね。秋田県民ですもの、桜の樺細工で見慣れた樹皮ですよ!!

参考文献4によると、第二次世界大戦中の松根油採取のため、松並木がどんどん伐採されたそうです。松根油というのは、Wikipediaで調べられますので、くわしくはそちらを見てほしいのですが、第二次世界大戦の末期、日本は資源が底をつき、松の切り株から松根油をとって、航空用ガソリンを作ろうとしたのです。その影響で、御所野の松並木は大分少なくなってしまったようで、少し残っていたものもこの「あきたびライン」の建造の際に無くなってしまったようです。。。。さみしいなぁ T _T

在りし日の御所野の松並木の写真は、「河辺郡誌」にのっておりますので、秋田県立図書館で閲覧ください。みごとですよ。

佐竹の殿様
佐竹の殿様

桜並木に続けて松を植えて、松並木復活を!!

2021-8-29 豊成 東北電力御所野変電所

桜並木をちょっと進むと、右手に東北電力御所野変電所があります。なかなかの絶景であります。ここまで大きい変電所は結構珍しいかと思います。どうやら岩手から秋田への電力系統はこの御所野変電所で受けているようですよ。

2021-8-29 豊成 東北電力御所野変電所付近

そして、御所野変電所の前あたりから羽州街道は再び「あきたびライン」に分断されるのでした。

それでは今回は、ここまでとしますね。次回は、再びワープから始まりますよ!!

佐竹の殿様
佐竹の殿様

バカメと言ってやれw

その2につづきます。

前回、仁井田一里塚〜御所野一里塚編 その3(完) は、こちら

まとめページはこちら

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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!

御所野の松並木、集落の自慢だったそうですから、植樹始めましょうよ!!

よろしくおねがいしますー

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参考文献1:秋田県教育委員会「歴史の道調査報告VIII 南部羽州街道」1986

参考文献2:藤原優太郎「羽州街道をゆく」無明舎出版 2002

参考文献3:佐藤晃之輔「秋田・羽州街道の一里塚」秋田文化出版 2013

参考文献4:御所野の歴史文化を語る会「御所野の歴史文化を語る会 創立16年の歩み」2015

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初稿:2021-9-5

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