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どうもー、白くま父さんです。
御所野一里塚〜川原田一里塚編に入って、今回で第5回目になります。
前々回その3で仁井田堰頭首工、前回その4で豊島舘跡に寄り道しました。
今回は、羽州街道に戻って旅を続けようと思います。
御所野一里塚跡から川原田一里塚までの経路は以下のとおりです。
寄り道する前のその2は東北電力御所野変電所前からスタートして、秋田市河辺豊成の昔「三ノ渡」とよばれた岩見川の渡し場跡となる「豊成橋」まできて終えたのでした。
でも私は、その2の旅をしていてなんか違和感を感じでしました。
どんな違和感?
その2でたどった経路はなんとなく、街道っぽくない。
自動車とかそういう物が通るような、そんな近代的な道な感じがしてました。
ほうほう!!
そこで、その2のブログを書いた後に、もう一度国土地理院の地図を見直してみました。
黄緑色がその2で通った経路であり、参考文献1、2でも示されている経路です。
国土地理院の地形図には細い道ですが、東北電力御所野変電所前から真南にほぼ真っすぐ進む紫色の経路が描かれています。ちなみにGooglemapではこの部分は途中で途切れた道になっています。
白くま父さんは、なんとなくこの紫色の経路の方が、本当の江戸時代の羽州街道なのではないかと思いました。
そしてこちらの伊能忠敬e史料館にある伊能忠敬の作成した「伊能大図:本荘、大曲」を見た時、それは確信に変わりました!!ご覧ください。
どうでしょう。国土地理院の地図に描いた黄緑色の経路のようにS字カーブを描くわけではなく、紫色の経路のようにほぼ真っすぐ真南に御所野坂を下り、豊成村、岩見川に向かう羽州街道が描かれております。素晴らしいです、伊能忠敬さま!!
わたし、これを見た時、感動して泣きそうになりましたw
それほどかいw
ここまで材料が揃えば現地で確かめるしかありません。再びその2のスタート地点である東北電力御所野変電所前からスタートし直しです!!
はい、再びやって参りました東北電力御所野変電所です。ここから、今回はスタートです。
地図上の位置は、この辺ですね。
今回は、あきたびラインを越えるのではなく、この変電所横の道を素直に進みます。
どんどん進むと、共立技研さんという会社の前を通ります。
さらにどんどん進みますと、サンテックさんという会社の前を通ります。
立入禁止とあるので、敷地側の道は歩かないほうが良いでしょう。防犯センサーもあるようでしたからね。
さらにさらにどんどん進みますと、左右からヤブがだんだんと幅寄せをしてきます。でも道はまだ舗装道路です。
やがて道路は舗装されていないガタガタ道、砂利道になります。
地図上のこのへんで急に道が細くなりますが、この辺りから未舗装の砂利道になります。
砂利道をどんどん進みますと、産業廃棄物の処理場の前にでます。立入禁止と書いてありますが、もちろんこれは敷地に入ってはいけないこということで、道路は進んでも大丈夫です。
地図上で、産業廃棄物の処理場はこの辺りです。右に分岐の道があるように見えますが、チェーンが張ってあって立入禁止です。産廃置き場のようです。
さて、産業廃棄物の処理場の前を通過して進みますと、このようにヤブが幅寄せしまくりになります。
でも、道は細々とあります。多分軽トラなら通れます。ワダチも薄っすら有りますしね。
ちょっと進みますと、路面にコンクリートが敷いてあった形跡があります。そのおかげで路面の草がちょっと無くなって歩きやすいです。
ここで、道は右側に続いておりますが、そのあと道は途絶えます。
地図上ではこの地点になります。右に分岐している道がありますが、すぐに途絶えています。
そして、真直ぐ進んでいるはずの道はここでヤブに遮られております。
ここで、私どうしようかちょっと悩みました。
このヤブに突撃して、どのくらいヤブを漕げば豊成に出るのか
まったく想像できないからです。
そりゃそうだよねー
確証がないとね
ヤブの向こう側がどのあたりか確かめに行ったんだね。
はい
そして有用な情報を得て戻ってきました。
というか、ヤブの向こう側から突撃して、ここに戻ってきましたw
結局、ヤブを漕いだのかw
それでは、ヤブに突撃しますよ!!ヤブの幅は約10メートル。
電柱が道沿いに順々に建っていて、御所野坂を豊成まで降りているので目印にして降ります。
というか、実際は来たヤブをまた戻るのですが、撮影のためですw
Let’s go!!
Move it!!
さあ、あの電柱を目印に進みますよ。ちょっと草が凹んでいるのは、もちろん私が向こうから来たからです。
草と低木が進路の邪魔をします。本当にここ道だったの?って感じですが、大丈夫!!
さらに進むと、足元は笹でびっしりになります。頭上にはヤマゴボウの実がみえますね。このヤマゴボウの実は毒なので食べてはいけませんよ。山ブドウと間違って食べないでくださいね。
ちなみに、このヤマゴボウは明治以後の帰化植物だそうですので、参勤交代の殿様は見たことはなかったでしょう。
あ、そうなんだ
進めど進めど相変わらずの笹ジャングルです。今度は藤の実がなってますね。藤がマメ科の植物であることが実の形でわかりますね。なんて、のんきなことを言ってますが、実際は結構必死にヤブを漕いでいます。
ヤブを約10メートル強ほど漕ぐと、パッと開けた空間にでます。眼下には、その2で通った道が見えます。
草を分けて、道が続いていますので、あとは楽々です。進みましょう。
左手には、おなじみ「あきたびライン」がみえます。
進みますと、右手に柱がたっております。そしてその柱の後ろの小高い部分には、
そう、庚申塚です。つまり、ここは街道沿いの村の入り口であるという印です!!
この塚は面白いですね。アルマジロみたいな感じに、石が鎧のように張り付いています。珍しいです。
こちらの庚申塚に講員の名前が入っておりますね。この辺りは鎌田さんが多いようです。このあときいたのですが、鎌田姓の方はここ豊成が由来の方も結構おられるようですよ。
そして、右の庚申塚は西暦2000年に建てられておりますので、まさに二〇世紀最後の年に建てられたということです。これもこの後で聞いたのですが、豊成の庚申講はつい最近まであったそうです。
はい、道らしい道にでてきました。右に続く道は、民家の作業場に続きますので、行ってはいけません。真っすぐ進みます。
先ほど、ヤブ遮られた道で悩み、一度豊成側に回って逆方向からアタックしたことをお伝えしました。
そのアタックをする際にこの辺りをうろうろしておりましたところ、農作業を終え一服されていたSさんに声をかけていただきました。
極まれに雄和にある国際教養大学の学生が御所野への近道だと思ってこの道に来ることがあるそうで、わたしもそういう人かなと思って声をかけていただいたそうです。
Sさんは豊成のいろんなまとめ役をされていた方だそうで、この辺りの歴史をよくご存じでした。それで、いろいろお話を聞かせていただきました。
今回、通ってきた道はやはり江戸時代の羽州街道であったということです。
やっぱり、そうだったんだ!!
白くま父さんの勘と伊能忠敬の地図は正しかったな
またその2で通った道は、明治14年の例の明治天皇の東北・北海道を御巡幸(この回とかこの回で明治天皇聖跡みましたね、あの関連です)の際に急遽つくったものがもとになっているそうです。今抜けてきた羽州街道が急な坂道なので、明治天皇にこんな急な坂道を通っていただくわけにはいかないということで、もっこを使って人海戦術の突貫工事で作って巡幸に間に合わせたという言い伝えがあるそうです。
その2で通った道は妙に新しいと思ったんですよと、言ったら
Sさんに、新しいといっても100年経ってるよと、笑われました
まあ、普通の感覚はそうだよね。
この旅をしてると明治は最近だと勘違いしちゃうけどw
そして、羽州街道の豊成側の羽州街道の草刈りをなさっているのもSさんだそうで、昔はヤブになっている部分も草刈りしていたそうですが、今はそこまで手が回らないそうです。なので、ヤブをなるべく漕ぎたくない方は、春先に行くと良いでしょう。冬の積雪で草が押しつぶされて枯れておりますので、歩きやすいはずです。
ちなみに、ヤブの幅が約10メートルくらいで、電柱を目印に行けば良いことを教えていただきまして、突撃した次第ですw
その他にも、いろいろな豊成地区の歴史を教えていただきました。
Sさん、どうもありがとうございました!!
また、来ますので、いろいろ教えてください!!
他にもいろいろ教えていただきましたが、全部は書ききれませんので、まずはこのあたりでお別れして旅を続けましょう。
羽州街道はさらにほぼ真直ぐ南下します。
そして、奥羽本線へと突き当たります。
地図上ではこの地点になります。Sさんからお聞きしたのですが、以前はここに踏切が有って渡れたそうですが、秋田新幹線こまち開通時に線路を改修した際に踏切が無くなったそうです。Wikipediaの秋田新幹線をみると、1992年着工で1997年に開業ですので約30年位前まで踏切があったということですね。
ちょうど秋大生のころですなー
そして1997年開業のこまちに乗って、就職先に引っ越しましたねー
なつかしー
踏切はもうありませんので、ワープします。
こんな感じで、線路沿いを進んで、その2で通った豊成踏切を通って線路をわたり、その後仁井田堰にかかるの橋の前を右折して、くるりと向こう側に回り込みます。
はい、ワープ完了です。奥羽本線を渡ったところには、こんな柿の木が生えていますので目印に丁度いいですね。
柿の木から向こうをみると、通ってきた羽州街道が見えますね。ちなみに、Sさんからきいた言い伝えによると、明治時代にこの奥羽本線を通す際、岩見川から採石をして砂利として敷いてその上に線路を敷設したそうですよ。
では、ワープ地点の柿の木から、羽州街道を南下します。
突き当たりましたら、右折です。シャッターにディズニーのキャラクターが描かれておりますねw
先の右折後、道なりに進みますと仁井田堰を渡る橋がありますので、渡りましょう。
Sさんから、仁井田堰ができる前は、この仁井田堰のあたりまで岩見川があったと聞きました。だいぶ前の言い伝えが伝わっているのですね。
仁井田堰を渡り進むと岩見川に到達します。
川に降りる道があります。水位をみるための杭が並んでおります。
このあたりが、昔の岩見川の渡し場「三ノ渡」跡なのでしょうかね?
向こう岸にも道がありますので、「三ノ渡」跡であることは濃厚な気がしますね!!
Sさんに聞けばよかったなー
また今度聞きに行こう!!
「三ノ渡」跡?にたどり着いたところで今回の旅は終わりにします。
最後に、今回発見した羽州街道に修正した国土地理院地図と、おまけで参考に伊能忠敬の地図をおみせして、終わりにしましょう!!
まずは、国土地理院地図です。
紫色で書いてきた経路を、黄緑色に直しましたよ。その2の経路は削除しました!!
次に伊能忠敬の測量した伊能大図から、御所野一里塚から川原田一里塚までの経路付近を抜粋したものです。どうです?伊能図にかなり近い経路に成りましたね。ほとんど一致していると言っても良いかも?
おぉ!!かなりいい線行ってるぞ!!
私、今回の結果に大変満足しておりますw
大満足のまま、今回はここで終わります。次こそ、岩見川を渡りますぞ!!
その6に続きます。
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白くま父さんの勝手にお願いコーナー!!
岩見川の「三ノ渡」の跡地は渡しのたどり着いたところで合っているんでしょうか?
ご存知の方、情報をよろしくお願いしまーす。
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参考文献1:秋田県教育委員会「歴史の道調査報告VIII 南部羽州街道」1986
参考文献2:藤原優太郎「羽州街道をゆく」無明舎出版 2002
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初稿:2021-10-30
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